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悲鳴を聞く

真実は、何なんだ。

元、厚生省の次官が殺された。奥さんも。今重症な人もいる。
1985年に基礎年金の一部一元化を行った当時の局長と課長。

テロなのか、個人的な殺人なのか、まだまだ真実は闇の中。

でも、この事件が発するメッセージな何なのか、社会が受け止めるべきメッセージは何なのかを考えると、やはり、今の日本の構造的な不安定さを露呈しているのではないかと思う。
厚生省元次官が殺された、と聞いたときに真っ先に思い浮かんだのは、「テロ」だった。
どんどんつぶれる中小企業、苦しい農業、生活が苦しい高齢者、正規社員になれないフリーター。
毎月数万円でやりくりし、将来の希望が全く見えず、不安におびえている人がいる。
どうしようもなくて、自ら命を絶ってしまう人がいる。
その不安や苦しみや怒りの矛先が政治に向いたのではないか、そう思った。
今の日本の不安はここまで来たか、と。

真実がわからなくても、多くの人が、これを「テロ」と受け止める。
その日本社会が今、確実にあるのだ。

テロという暴力は絶対に赦さない。でもテロを生んだ背景には心を向けるべき。
前から思っていたその思い、そのとき念頭にあったのは日本ではなかったけど。。。
今、この事件にも当てはまる。
6月の秋葉原の事件も同じだ。

ひとつの法律が、ひとつの政策が、大きな世界の波が、今もこの豊かだった日本で、誰かを苦しめている。誰かを死においこんでいる、今日も。そしてそれは決して報じられない。

私の目には見えないけれど、日本中のいろんなところから、悲鳴が聞こえている。

なんとかしなきゃならない。絶対に、このままほうっておいてはいけない。
だからって何ができる? そんなの今はわからないけど。
でも、とにかく、なんとか何かしらの手を打たなくてはならないのだろう。
人が、普通に生きていける、ただそれだけのことを成すために。

早く犯人がつかまってほしい。こんな暴力もうあってはいけない。
事件の真実がどうであれ、私たちはメッセージを受け止めねばならないだろう。
そして、何ができるかを、本気で考えなければならないときがきているのだ。

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私は何者でもない。

 ということが、猛烈に不安で仕方なかった。高校時代くらいから。
 今も、大学3年生で、就職活動前で、もちろん悩んでいる友達もたくさんいるけど、自分はこれでいくのだと志を定めてまっすぐ向かっている人がちらほらといる。何も進路に留まらず、学問でも服装でも価値観でも、「自分らしさ」「個性」を磨いている人たちがたくさんいる。
 彼らを見ていると、尊敬の念の裏で、不安にかられる。
 「何者」かにならなくちゃ、という思いが私をかきたてる。自分らしさを見つけなきゃ、自分にしかできないことを、自分の存在意義を確立しなきゃ。

 でも今日思った。
 「何者」でもないことを楽しもうと。

 筑紫哲也氏について、「彼をはめる枠などない」と評した人がいる。彼はよく「間口が広い人」とも評される。政治にしても文化にしても、高尚なものから大衆向けのものまで、何でもこよなく愛した。
 もちろん彼は大物で「筑紫哲也」という人間を確立している。でも、「何者」という枠にとらわれることのない人。彼のように、何でも楽しんでしまえばいいのだ。自分らしさなどまだまだわからん。方向性もまだまだよくわからん。でも、とにかく今は、何でもとにかく、見てみよう。不安をぬぐうことはできなくても、とにかく新しいものを知ろう。まだまだ拡散の時期でいいんだ。収拾はいつになることやら。
 単純なことだけど、筑紫さんのようになろう、何者でもないことを楽しんでしまえ。と、そう思えたら、なんだか、今が楽しい♪
「論」も愉し
近ごろ「論」が浅くなっていると思いませんか。
その良し悪し、是非、正しいか違っているかを問う前に。
そうやってひとつの「論」の専制が起きる時、
失なわれるのは自由の気風。
そうならないために、もっと「論」を愉しみませんか。
二〇〇八年夏 筑紫哲也

http://www.taji-so.com/main.php ウェブ多事争論

 筑紫さんの残日録に遺されていた言葉。

 ひとつの方向に流されやすいこの国の中で、少数者であってもいいから、多様な声を自由に発信し、それを争わせることで、よりよい社会をみんなで作っていこう。そういう思いがこめられていると思う。テレビでコラムという異例なもの「多事争論」にはそんな思いがこめられていたのだと思う。
 筑紫さんは、いつも、90秒間、自分の言葉でまっすぐにカメラを見て、思いを発し続けていた。

 いろんな人がいろんなことを言うこの時代。特にインターネットではいろんな意見があふれすぎている。何が正しいかわからなくなりそうなこの時代。そんな時代の中で、自分自身が、自分の心と頭で正しいと思ったことを発信していきたいと思った。偏っていてもいい、間違っていてもいい、自分が今考えることをおそれずに発信していくことが、きっと大事だと思う。人を傷つけないようにと注意して。

 別にジャーナリストになりたいわけではない。ただ、筑紫さんがかっこいい、あんな大人になりたい。そう思うから、筑紫さんの多事争論を目指して、奈穂の多事争論をやってみようと思う。私が日々の生活の中で、ニュースを見る中で思ったことを表現していきたい。おそれずに。
 自分の論が影響力を持つだなんて思ってはいない。それはこわい。ただ、これから社会に出て行く一人の人間として、自分の考えというものを表現する訓練をここで積みたい。そして、いつか、いつになるかわからないけど、ちゃんと自分が生きる社会にとって、少しでも良い論を投げかけられる存在になりたいのだ。

 「私すごいでしょ」というようなblogにはしたくない。したくてもできないけど。それはいつも私が、素敵な先輩方の日記を読んではその素敵さに落ち込んでしまうから。彼らの姿を見るたびに、自信を失くし、希望を失ってしまうから。自分自身の情けないところも、くだらない小さな悩みも、まっすぐに開き直って表現していきたいと思う。可能な限り。3日坊主にならないように。飽きっぽい私。継続は力なりだ!ということで、無理せず愉しんで続けようと思う♪


 

てすと

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