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 今更だけれど、先週NHKで裁判員制度を特集していた番組を見ていて思ったこと。

 裁判員制度が、死刑制度を廃止する大きな力になるかもしれない。


 裁判員制度が来年5月からいよいよ始まる。
 重要な刑事裁判の判決に、国民が参加する制度。何の関係もない事件に運よくあたった国民が、重大事件の犯人の一生を決める。重い重い制度。
 殺人事件を犯した人間に、私が、あなたが、死刑を言い渡すことになるのかもしれない。

 NHKでは模擬裁判を行った。
 両親が離婚し母親が再婚し家庭に居場所なく育ち、会社をクビになり借金まみれとなり、強盗を試みる。家の主のおじいさんに見つかり、彼を包丁で刺して殺し、その後かけつけた奥さんの首を刺して殺す。半年逃げ回ったのちに逮捕される。
 その人間に判決を下す6人の人間。会社員ばかり。
 
 殺意があったのか、なかったのか、それを論点に3日間話し合う。

 そのうちのひとりの女性は言った。
 「今までテレビで事件を見ていたら簡単に死刑だと思っていたけれど、実際に自分が死刑を言い渡すなんてこわい。重い。」と。
 彼女は感情に流されやすく、加害者や加害者の母親の話を聞いては泣き、被害者の遺族の話を聞いては泣き、ゆらゆらと流されていた。そして最後は、自分の感情に正直に、死刑に賛成をした。
 感情に訴えた方が勝ちな裁判になるおそれがあると危惧。

 結局は死刑が確定したが、誰もが、自分自身で死刑を宣告することにためらっていた。
 それは自分が一人の人間を殺すことだから。

 ある人は、社会の秩序を保つための制度なのだから、と理性で死刑に賛成しようとしていた。
 しかし死刑制度には統計的にも全く抑止力なんてない。社会の秩序維持にはならないものだ。
 むしろ政権の恣意的な死刑や、冤罪など、意味のない死を生んでいる。

 日本の死刑制度賛成の世論は8割だという。
 しかし、裁判員制度が始まったら、間違いなく死刑制度は揺らぐだろう。自分自身で死刑宣告を言い渡す立場になり、思い悩み、そのときに、少しずつ、この制度への疑問がわくだろう。
 死刑制度を、本当に考え直さなければいけないときが来ているのだと思う。誰もが自分自身で人を殺す可能性があるこの、今、このときだからこそ。
 もちろん、終身刑にも問題点はあり、裁判員制度自体にも問題があり、即死刑廃止というわけにはいかないだろうが、自分自身の問題として、死刑を見直すべきときが来ている。

 国家が人を殺す、この制度を、ちゃんと考えるときが来ているのだ。
 
 

 
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 秋葉原で今年の6月に無差別殺人事件を犯した加藤容疑者の書き込み。

「5時21分 秋葉原で人を殺します。車でつっこんで、車がつかえなくなったらナイフを使います。みんなさようなら」

「5時21分 ねむい」

 これを受けて、北大教授の中島岳志は言う。

 「大量殺人という大事件を起こす数時間目の反抗予告に「ねむい」と記す感覚を、私はおぼろげながら理解できる」と。

 「ぐったり感」。中島先生は言う。何もしていないのに疲れている。ぐったりとした身体を社会に強いられている。

 「『ねむい』という一言は、無意識のうちに発せられた新自由主義社会に対する違和と抵抗の疼きと理解すべきである。」



 
 「5時21分 ねむい」
という書き込みがあったことを、この中島先生のエッセイで知ったとき、愕然とした。
 おぼろげながら理解できる、どころではなく、心の奥でずどんとわかった。「ぐったり感」という感覚が、腹の底で理解できた、そんな感じだ。
 まさに私が毎日感じていた身体感覚だったからだ。

 何かにつけおそう眠気。ぐったりとした身体。目が覚めてても起き上がれない朝の絶望感。
 
 人との関係は分断され、社会的排除はあらゆる人を穴に落とし、居場所がない感覚を覚え、自分がこの世に必要とされていないむなしさにさいなまれ、ひたすらに自分はだめだと責める。自殺者は年間3万人。周りではストレスで身体を壊す友達が何人もいて、精神科に通う人もわんさか。国立市の心療内科は予約でいっぱい。大学の保健センターは、他の内科なんかが週1なのに、精神科は毎日。誰もがみんな病んでる気さえする。それでもその病を隠し、飲み会ではむなしいくらいに盛り上がる。笑顔を取り繕う。自分の人生は輝いていますと虚勢をはる。
 「ひとりじゃないよ」とあらゆるドラマや映画や歌が言い、「夢をあきらめないで」とも繰り返す。
 けれど夢を追い、かなえ、きらきらと輝くのはほんの一部の人。その成功例を見せ付けられ自分がわからなくなり、自分を見失う。お金が人間関係をぶったぎり、共同体など何もない。独居老人はどんどん孤独死を迎える。みんなひとりだよ、みんな夢なんか見てないよ。そう口にすれば「負け組」のレッテルが貼られる。

 このむなしさ。

 姜尚中の『悩む力』は大ヒット。100年前夏目漱石が悩んだことと同じ悩みだ、と彼は言う。
 100年前、デゥルケームが書いた『自殺論』もなかなか良い売れ行き。彼が提示した「社会的排除」「アノミー」は今の時代にぴったりだ。拍手を送るよデゥルケームさん。

 社会学部に3年いれば、自分のぐったり感やむなしさが、社会構造の産物だって認識するようになる。ここ100年の社会構造の変化、近代化の産物だと。だから途上国の子どもは目がきらきらしてるとみんな言うじゃないか。生命力があるって。そう認識したからって、個人は簡単に社会の影響から逃れられない。

 どうしようもないこのアノミーの中で、今はこのアノミーを見据えることしか私にはできない。

 悲鳴が聞こえる。

 どこかで。私の中で。
 

 

 

 夜、コンビニに行くのを控えてみようと思う。

 コンビニエンスストアはとっても便利。24時間、ほしいものを買える。

 でも、人にも環境にもよろしくない。


 京都は景観のためと地球温暖化防止のために、コンビニの24時間営業自粛を求めている。
もちろんコンビニは猛反発。ビジネスモデルが崩れるからと。

 今日お昼に友達から聞いた話。名ばかり店長の話。shop99の店長は、4日間で80時間働いたという。残業代は出ない。今彼は経営者を訴えている。裁判中。店長にされ、残業代も払われずに安く長時間酷使されている人がたくさんいる。その多くはコンビニだったりファストフード店だったりする。4日で80時間ということは、1日約20時間だ。4時間も寝れてない。副店長か店長はどちらかが家に帰る暇もないために、店の中でダンボールで寝ているという。
 どこよりも安く売る。どこよりも安く人件費を抑える。その競争がグローバルに展開されている今、みんなが疲弊している。裁判は、その叫び声だ。

 もちろんこれは労使の問題であって、24時間営業であることと直接の関係はない。
 けれど、人々が便利さを求めて、企業が利益を求めて、行き着いた24時間社会。眠らない社会。休むことを忘れた社会。夜中も休むことなく働く人と、光り続ける灯。経済が活性化するかもしれないが、人は疲弊する。

 夜は、休もうよ。
 
 朝起きて、夜寝る。高畠(山形県)の農家の人は当たり前のようにそうやって暮らしてた。
 それが自然の姿なんだ。
 自然の姿に戻ったっていいんじゃないか。それは別に退歩ではない。24時間働くことが進歩でもない。人間らしい暮らしを取り戻さなければいけないんじゃないか。

 3食食べて生きていけることがほぼ当たり前になっていたこの社会で、穴に落とされないように、みんなが何かスキルだとか成長だとかをがつがつ求めて、強迫観念のように進歩しなきゃと思うけれど、でも、朝起きて、夜寝る。おいしいご飯を食べる、人と話す、そういう生活の基盤はないがしろにされているように思えてならない。普通に暮らそうよ。
 夢だとか成功だとか、そういうきらきらしたまぶしい世界を求めて走るのは別にかまわない。
 でも、普通に、暮らそうよ。普通に生きる、それだけのことを、ちゃんとしようよ。
 それは、私自身の負け惜しみかもしれない。それでいて自分への戒めかもしれない。

 まずその初めの一歩。夜コンビニに行かない。
 24時間社会を、私はボイコットする。

 
 
 
 
「おいしいコーヒーの真実」という映画を見た。

毎日誰かしらが必ず飲む当たり前にすぐそこにある飲み物、コーヒー。
それを作っているエチオピアの農民は、1日に0.5ドルくらいしかもらえてない。

コーヒー生産者は貧しくて飢えていて、そのコーヒーを100円くらいで飲む先進国の消費者はあまりにも豊かで、自分たちが飲むコーヒーがどこから来るかなんて知らない。

栄養失調の子どもを抱え、今日食べるものを心配しながら、コーヒー豆を作り続ける人々。
たかだか一杯の黒い液体の香りだとか味だとかに熱狂する人々。
ILLYとかスタバとか、コーヒーの高品質を求める人たちの姿は、あまりにもこっけいだった。
この世が不平等だってことは別にいまさら知ったことじゃないが、ひどい、としかいいようがない。

あと何百円か上乗せするだけで、彼らの生活は変わる。
でもそのあと何百円かを出せない私。

その映画を見た後で行ったスタバで、450円のココアを飲む。
それでさえ高いと思ってしまう私がいる。
フェアトレードって、自分の欲望との戦いだ。

フェアトレード商品を買うことで、何人かの生活を良くすることはできる。
それが広まっているって、とってもいいこと。

でももっと変えなきゃいけないのは世界貿易ルールで、途上国製品を先進国が大量に買って、先進国内の補助金削って途上国への輸出を減らして、途上国での加工度をアップして。
ルールを変えれば、何百億ドルという利益が途上国にまわる。

それはわかっているけど、そんなことしたら、日本の農家はつぶれちゃうし、日本の商社だって日本のいろんな加工してる企業だって激しい競争にさらされる。今でさえこのグローバリゼーションの中で日本はひいひい言っているのに。
私は日本を捨てられない。

今日も安いチョコを食べる私は、誰かの苦しみの上に生きているのだろうか。

加害者になんかなりたくない。
誰かがおなかをすかせているのが、私のせいだなんて、そんなこと認められない。

何かしたい。
何ができる。

今私に言えるのは、こんな世界はいやだ。ただそれだけ。



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