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松屋で一人

 松屋で一人、夜ご飯を食べる。

 試験勉強しかしていない。朝から一日誰とも話していない。彼氏は卒業旅行中。

 当然ながら、ものすごく寂しい。

 ただそれだけを書きたいどうしようもない日記です。





 松屋では誰もが一人もくもくとご飯をかきこむ。
 10人ほど仕事帰りのおっちゃんたちがご飯をかきこんでいるのに、話し声はしない。
 聞こえるのは、壁に向かってむなしく明るい店員さんの声。

 機械的に出された規格品のご飯を前に思う。
 きっとこんな生活をしているから、想像力がなくなってしまうのだろうと。
 このお米が、自然の恵みのもとで農家の人が一生懸命につくったものだとか、ハンバーグは牛の命をいただいているんだとか、自分が食べるものへの命と思いの連関など全く断ち切られている。作ってくれた人の気など全く感じられない。「思い」も「命」も消し去られている。
 こんなんだからきっと、自分がお金を出したんだから残そうが自分の勝手だって意見が、さも当然のように出てくるのだろう。
 自然や太陽や、作ってくれた人のおかげで自分があるなんて思えない。
 ご飯は、自分が働いたお金で、自分の力で買うものだから。
 自然とともに生き、食べ物を育み、近所の人たちと支えあって、それで自分が食べていける。高畠(山形県)で当たり前だった暮らし。そんなのはここにはない。

 おなかは満たせても、心は満たせない。

 行き過ぎた人間中心主義。主体性。自己責任。
 自分がお金を払ったんだからサービスを受けるのは当然で、何を主張してもいい、という身勝手な発想は、社会の必然なのかもしれない。モンスターペアレント、モンスターペイシェント。。。。
 
 隣で部活帰りなのか、制服を着た高校生がご飯をかきこむ。お母さんの心がこもった食事ではなく、画一的な松屋のご飯をかきこむ。なんか、そんなところから家族が崩壊していくような気がする。
 
 昔の人はきっと、毎日ご飯を食べるたびに、自分と他者のつながりを実感できていたのだと思う。自分とお母さん。自分と近所の人。自分と牛。自分と鶏。自分と自然。自分と宇宙。
 国際問題だとか、社会問題だとか、環境問題だとか、そういう自分の目に見えない遠くの人のこと、これから先の未来の人のこと、そういう人への想像は、できなくなって当然なのかもしれない。無関心の渦にどんどんと巻き込まれていく。社会的排除はどんどん人を飲み込んでいく。
 「もっと社会に関心を持とう」といろんなキャンペーンがあって、それを無意味とは言わないけど、でも本質は、自分と他者のつながりが感じられないこの社会の病理そのものだろう。
 
 一人で寂しくご飯を食べてなんかいるから、自分の存在がわからなくなってしまうのだ。

 しがらみから解放されて自由を手に入れたはずなのに、人々が求めてきた自由の結果はこれなのだろうか。

 先日、母校の後輩が自殺した。今通う大学も自殺率はかなり高い。見えないところで、みんな寂しくて、みんな病んでいて、ばたばたと死んでいく。あまりにも存在が小さい。小さすぎる。
 どうしたらいいのだろう。あまりにも大きな孤独と、大きな寂しさが日本中を満たしているような気がする。私は一人で勝手にそう思う。

 一緒にご飯を食べよう。
 せめて。
 一人で機械化されたご飯を食べるのは、やっぱりおかしいんだよ。
 
 ご飯から、世界を変えよう。自分を変えよう。
 「いただきます」「ごちそうさま」をちゃんと言おう。そこが松屋でも。
 その声があまりにもむなしく店内の中に消えていったとしても。

 

 「愛を学ぶために 孤独があるなら
  意味のないことなど 起こりはしない」

 平原綾香はそう歌う。
 もしそれがほんとなら、今日本を覆うこの孤独の先に、大きな愛が来る。



 



 
 

 
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CHANGE

CHANGE!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

今の閉塞感たっぷりなこの世の中には、変化を求める声はあまりにも力強い。
 オバマ大統領の誕生を喜ぶアメリカ国民の熱狂ぶりはおそろしいほどだ。この大衆民主主義の政治への熱狂が間違った方向へ働くとき(4年前8年前)もあるけれど、今回のオバマの誕生は、私は一緒に熱狂したい。

 グローバリゼーション、新自由主義、戦争、環境破壊、金融危機。。。
 このあっという間の8年間で、アメリカはあまりにも極端に新自由主義的に舵をきってしまった。その犠牲はあまりにも大きい。

 このアメリカはぜひCHANGEしてほしい。
 ただ変えりゃいいというわけではない。もちろん、いい方向へ。力のあるものだけが幸せになる社会ではなくて、もっと多くの人が幸せになる社会へ。

 I believe you who respect Gandhi and Mrtin Luther King.
Love from Japan

 とでもハガキ1枚ひらりとホワイトハウスに送りたい。
 
 非暴力を貫き、けれども決して無力ではなかった、社会を良い方向へ変えたそんなガンジーとキング牧師を尊敬するオバマ大統領を、私は信じる。

 どうか、暗殺されませんように。
 どうか、彼の政権が、よりよいアメリカを、よりよい世界を導くものとなりますように。

 期待をこめて見ていきたいと思う。

和解と被害者

 「和解」についてのシンポジウムに行ってきた。
 ユダヤ人や第2次世界大戦時にドイツが破壊した町へドイツの若者を派遣して、「ドイツ人なんて嫌いだ」という人と交流して、理解しあうことで和解を目指す、ドイツのNGOの代表シュタファーさんが大学に来て講演してくれた。

 「和解」はあくまでも結果でしかなく、私たちが行うべきは「償い」である。というスタンス。
 「和解」を「する」というのはおこがましいというスタンス。

 ドイツ人若者がポーランドやノルウェーにでかけ、シナゴーグを建設したりいろんなボランティア活動をしていく様子を語ってくれた。

 いろいろ思うことはあったけれど、すごく心にずしっときたことをひとつ書きたい。

 紛争後の平和構築のひとつとして、今「和解」というのはすごく注目されている。私自身、戦争時に本当の加害者はなく、被害者もまた加害者であり、加害者もまた被害者であり、しかもそれが同じコミュニティの中の大量の人間がどちらでもあり、その時代を考えるならば、特定の人間を裁いて処刑して終わる、という裁判の方法は好きではなかった。南アフリカの「真実和解委員会」のように、裁くことを目的とはせずに和解を目的としたほうが、その後の社会は、対立していた集団同士が協調して生活していけるし、望ましいと考えていた。

 しかしある人が指摘した点。
 和解が被害者を傷つけることもある、ということ。

 それを聞いたときに思い浮かんだ情景があった。

 ある演劇のワンシーン。
 戦争直後、夫婦となった日本人妻と米兵の夫。中むつまじく、戦争なんて水に流そうと言っていた。それを聞いて、広島出身の若者はがーんと米兵を殴った。そして言う。
 「私の母と妹は原爆で死んだんじゃ。水になんか流せんのです!!」

 そういうことなのだと思った。
 和解だ和解だ、と外部の人間がさかんに叫び、その雰囲気を醸成しようとするほど、加害者を許せない被害者はひどく苦しむものなのだと。家族を殺された被害者の苦しみは一生続くものなのだからと。
 相手を赦すことで楽になれる、という被害者もいれば、一生赦せない、という被害者もいる。
 いろんな人がいる。
 ただ「赦し」というのは被害者の心の問題であり、制度では助けることができても赦しを強要することなど絶対にできない。一度おきてしまった殺戮の傷は、他人にはもはやどうしようもないのだ。

 一筋縄では決していかない。
 でもだからこそ、「和解」の難しさ、紛争後の社会の真の意味での復興の難しさを知ることが、最初から紛争などなければどんなによかったことか、と次なる紛争の抑止につながるのではないだろうか。

 あの戦争は間違っていた。と償うこと。
 被害者意識を持つことはあまりにも簡単なのに、加害者意識を持つことは難しい。
 日本人にはどちらの側面もある。
 ただ、日本が傷つけた国の人に対しては、「ごめんなさい。赦してください。」という償いの気持ちを持つことが必要なのではないか。そうでなければ「和解」など生まれない。
 中国・韓国との仲は、2001年に比べれば改善されてきてはいる。
 それがなんとなく、の改善ではなく、本当の意味での和解を目指す必要があると思う。そしてその和解があまりにも難しいということを実感したら、それはもう戦争など繰り返すまいという気持ちを生むはずだ。それが戦争を生まない力にきっとつながる。
 「知られたくない」というプライバシー意識。
 「話したい」という表現欲求。
 このふたつの欲求が、一人の人間の中に両立している。
 そして、どちらがどれだけ強いか、という個人差は、あまりにも甚だしい。

 どこまで他人に知られても良くて、どこまでがだめなのか。
 その個人差があまりにも大きいこのプライバシーに対する向き合い方に、たぶん私は3年近く悩まされてきたのだと思う。そのことをなんとなく整理できたので書きたいと思う。

  同時代の若者でも、真昼の大学生協で自分のsex life を語る人間もいれば、夜の飲み会の席ですら自分の恋を語れない人間もいる。どこまで自己開示ができるか、これはあまりにも個人差が甚だしい。というより、二極化している感がある。
 自分の私生活で何かあればすぐ村中に知れ渡るという集落があった時代が壊れ、都会の暮らしの中では、共同体は破壊され、他人と自分との距離を自由にとれる時代となった。他人との距離のとり方は、自分ひとりの価値観次第という時代だ。難しい時代。
 だから同時代を生きる若者でも、赤裸々な人間もいればシャイな人間もいる。

 「知られたくない」という欲求を否定する気はまったくない。
 しかしややこしいのは、「知られたくない」人も、「話したい」欲求があることなのだ。

 「知られたくない」という欲求。でも「話したい」という欲求。
 ふたつの相反する欲求の調整として、こそこそっとうわさをし、コミュニティ内に情報格差を生む構造がある。

 ただシャイで、自分のことはできるだけ他人に知られたくない、というだけなら許せる。それなら一人でその事実を大事に秘密にしておけばいい。
 しかしそういう人は、ある特定の人だけには話し、こそこそっと秘密裏にそのうわさが広まり、あるコミュニティの中で知っている人と知らない人ができる、その情報格差が嫌だ。
 特定の人といっても、この人には信頼がおけるから、と特定したわけではなく、なんとなくその場の雰囲気で、ということが多い。○○さんと■■さんだけになら信頼しているから話せる。という特定の仕方なら許せるが、なんとなく知られたくない、という曖昧な情報格差は身勝手だと、私は思う。しかも、「私は知っているけど、これはあまり言えないんだよね」という態度も身勝手だと思う。知っていても言えないちゃんとした事情があるのなら、知らないフリをすればいい。
 私は高校時代、その情報の圏外にいることが多かったから、そう思った。もし自分が情報の圏内にいて、情報の圏外にいる人がそばにいれば、積極的に話したいと心に誓ったのだ。

 ところが大学に入り、あるコミュニティにおいて私は「おしゃべり」「口が軽い」というレッテルを貼られてしまうようになった。ちゃんと断言したいが、私は秘密と約束したことを他人に話したことはない。
 しかし一度ある人からそのレッテルが貼られると、他の人も私には言ってはいけない、という自己防衛を始めるようになった。大学に入ってもまた、情報の圏外に押し出されてしまった。
 コミュニティから排除されたことがあまりにもつらくて、苦しくて、納得できなかった。コミュニティのメンバーを恨んでばかりいた。こんな信頼関係しか築けなかった自分も情けなくてならなかった。

 ただ、しばらく時間をおいて考えてみると、根本的な問題は、プライバシーに対する価値観の違いなのだと思うようになってきた。「知られたくない」欲求が強いコミュニティと、「話したい」欲求が強いコミュニティ。私がそれを見極められていなかったのだ。
 積極的に自己開示をし、他人のことも知りたいと思い、他の人にも知らせたいと思う私は、そのコミュニティとは価値観の違う人間で、プライバシーを大事にする他のメンバーが、自己防衛のために私をコミュニティから排除したのは、仕方のないことだったのかもしれない。別に私を傷つけてやろうなどという悪意なんてなかったのだし。

 何を表現してよくて、何がだめなのか。
 プライバシー意識があまりにも個人差甚だしいものだからこそ、プライバシー権と表現の自由はしばしば対立するのだと、「石に泳ぐ魚」の判例を読みながら考えた。

 また今日も、「この人とはなんでも分かち合いたい」と思っていた人に壁を作られてしまった。でも相手にも悪意などなかっただろうし、それにいちいち傷ついても意味がないのかもしれない。
 「知られたくない」という欲求が、彼が私以上に強かった、それだけのことだもの。

 
 「話したい」欲求の方が強くて、積極的に自己開示をし、他人のことを知りたい、他人にも知らせたい、をポリシーとしている私は、きっと「知られたくない」欲求の方が強い人には危ない人間に見えることだろう。そのことであらぬ誤解を受けたりもした。
 ただ、これが私の考えです、ということはちゃんと述べておきたくて、できることなら理解してもらいたくて、書いてみた。そして、「知られなくない」欲求、こそこそとして情報格差を作るその構造に私が高校でも大学でも何度も傷つき悩んだということも、ちゃんと理解してもらいたいと思った。
 私には直接関係ない人でも、もしかしたら同じことで傷ついたことあるかもしれないし、無意識に傷つけているかもしれないから。

 もし反発があるなら、しっかりと伝えて欲しいのだ。
 奈穂のここがいけないんだよ、ということがあれば、私をちゃんと理解した上で、ちゃんと伝えてほしい。

 なんだかものすごく長くなったけど以上です。
 
  

 
 
 
 
 
 
 



うっちーさんの日記で知った事実。

スタバがイスラエル支援企業だということ。
それを知ったら、私はもうほんとにスタバ行きたくなくなった。

暴力の連鎖が何も生むことはなくて、イスラエル人でもパレスチナ人でも、普通に暮らす人の上に爆弾が落ちることは絶対に許してはならないこと。

もちろんイスラエル=絶対悪だとは思っていない。
でも今回のは明らかな侵略としか言いようがない。
これは自衛なんかではなく侵略。
正当防衛などではなく人殺し。

それを、支持してはいけない。

スタバがイスラエル支援企業だからといってスタバをボイコットするのは、さらに構造的な不信感を助長するだけになるおそれもある。信頼醸成が大事なこの問題において、不信感や差別感情は起こすものではない。
しかし、今だけならボイコットしたっていいんじゃないだろうか。今だけなら。
今回の侵略に対するNO!の意思表示として。

イスラエルが落とす爆弾は、イスラエルを支援する企業からの献金だってある。
アメリカが非難しないのは、ユダヤ系企業の巨大な金が動いているから。

暴力で解決などできない。
この60年そうだったじゃないか。
何人の人が血を流せばそれがわかるのだ。

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以下、ブログ「イルコモンズのふた」さんより転載。
http://illcomm.exblog.jp/7425662/
▼「イスラエル支援企業リスト」
「私たちが商品を買うために支払ったお金は、世界のどこかで、誰かを迫害したり殺したりするために役立っているかもしれません。私たちが商品を買うために支払ったお金は、胸クソ悪くなるような人物を儲けさせているかもしれません。私たちが買った商品が生産される過程で、誰かが途方もない悲劇を経験しているかもしれません。私たちは、商品を選ぶことができます。私たちには注意深くお金を使う責任があります。」

[主なイスラエル支援企業]

▼スターバックス・コーヒー
「スターバックスの会長ハワード・シュルツは、イスラエル軍がパレスチナのジェニン、ナブロス、ベツレヘムなどに侵攻し破壊と虐殺を欲しいままにしていた 2002年 4月、シアトルのシナゴーグにおいて、パレスチナ人を非難しイスラエルへの支持を訴えるスピーチを行い、観客からスタンディング・オベーションによる喝采を受けたとのことです。スターバックスの会長ハワード・シュルツは活発なシオニスト (※)です。1998年には、彼のシオニズムへの貢献を讃え " The Jerusalem Fund of Aish HaTorah " から " The Israel 50th Anniversary Tribute Award "(イスラエル50周年記念賛辞賞)が授与され、イスラエル外務省も彼のイスラエルに関するPR活動を賞讃しました。」
※シオニズム/シオニスト ユダヤ人の離散状態を否定し、パレスチナに「ユダヤ人だけのため」の民族国家を持つことを至上命題とするユダヤ民族主義。イスラエル建国の基本理念。


▼マクドナルド
「マクドナルド会長兼 CEO の Jack M. Greenberg は、シカゴのアメリカン・イスラエル商工会議所の名誉会長です。またマクドナルドは、 様々な活動や資金援助を通じてイスラエルを支援する " Jewish United Fund "(ユダヤ人基金) 及び、" Jewish Federation "(ユダヤ人協会)の主要な企業パートナーだとのことです。" Jewish United Fund " と " Jewish Federation " は、イスラエル政府がパレスチナ人を追放して略奪した地域を開発するための資金も提供しています。マクドナルドは、アメリカ政府が 2001年のアフガニスタン攻撃時にプロパガンダとして行った、恥知らずな「上空からの食糧ばらまき作戦」( " Humanitarian Daily Ration " 人道的配給)にも参加していたとのことです。」

▼コカ・コーラ
「コカ・コーラ社は、イスラエルに対する様々な形での援助に対して、イスラエル関連団体やイスラエル政府から表彰されています。またコカ・コーラ社は、イスラエル政府がパレスチナ人から略奪した土地に工場を建設する予定です。そこにはすでに、インテルの工場があります。建設予定地の al-Manshiyya 村では、イスラエル政府によって 300軒あった家が全て破壊され 2000人のパレスチナ人が追放されました。コカ・コーラ社の製品は多肢に渡りますが、まず、コカ・コーラが販売されている自動販売機で売られている商品がコカ・コーラ社のものであると判断できます。店頭では商品ラベルを確認すれば判断できます。日本で販売されている代表的な商品としては、コーラ、ファンタ、スプライト、爽健美茶、ジョージア(コーヒー各種)、リアル・ゴールド、アクエリアス、紅茶花伝、Qoo、ミニッツ・メイド(フルーツ・ジュース各種)などがあります。」

▼エスティ・ローダー
「エスティ・ローダーの会長ロナルド・ローダーは、熱烈にして活発なシオニスト活動家です。彼は、イスラエルによるパレスチナの軍事占領への強硬な支持を広言してきました。また、パレスチナ難民の故郷への帰還も許してはならないとの立場を貫いているとのことです。エスティ・ローダーの関連ブランドには、Clinique(クリニーク:コスメ関連)、DKNY(ダナ・キャラン・ニューヨーク:ファッション関連)、Origins(オリジンズ:コスメ&リラクゼーション関連)、Tommy Hilfiger(トミー・ヒルフィガー:ファッション関連)などがあります。」

▼ネスレ
「ネスレは、その多額の投資がイスラエルへ多大な貢献をしているとして、1998年ネタニヤフ首相(当時)から "Jubilee Award" を授与されました。ネスレの製品は多肢に渡りますが、代表的なものに、Nescafe(ネスカフェ:インスタント・コーヒー)、KitKat(キットカット:チョコレート)、Maggi(マギー:調味料)、Buitoni(ブイトーニ:パスタ&ピザ)、Perrier(ペリエ:ミラネル・ウォーター)、 Vittel(ヴィッテル:ミラネル・ウォーター)などがあります。」


▼インテル
「インテルは、最も大きなイスラエル支援企業のひとつです。1999年、インテルはイスラエル政府によって略奪されたパレスチナ人の土地に工場を建設し、そこから大きな利益を得ています。インテルの工場が立つ al-Manshiyya 村では、300軒あった家が全て破壊され 2000人のパレスチナ人が追放されました。Pentium4のロゴマークintel Centrino モバイル・テクノロジのロゴマークIntel は、主にコンピュータの主要なパーツである CPUを生産販売している企業です。製品名は、Pentium(ペンティアム)やCeleron(セレロン)などです。」

▼マイクロソフト
「マイクロソフトが掲げた看板の写真 イスラエル軍によるジェニンへの侵攻と虐殺が行われていた 2002年 4月、マイクロソフトは、イスラエルのテルアビブ付近の高速道路脇に「心からイスラエル国防軍への感謝を捧げます」と書かれた広告を多数掲げました。マイクロソフトは、ブッシュ共和党政権への献金にも励んでいます。その献金額は、並み居る競合を押え、毎年、共和党政権献金企業トップ5に食い込んでいます。 2005年10月、マイクロソフトのビル・ゲイツ会長はイスラエルを訪れ、シャロン首相(当時)やオルメルト産業貿易相(現首相)を表敬訪問し、現地マイクロソフトの従業員や財界人と会合を持ちました。また、「イスラエルのハイテク部門は世界市場で重要な役割を果たすだろう」と語り、イスラエルとの協力体制の強化を約束したとのことです。」

▼IBM
「ナチスによるユダヤ人絶滅計画が頓挫して間もなく、1948年にイスラエルが建国を宣言すると、IBMはすかさずイスラエルに進出し、現在に至るまでイスラエルでの事業展開に多大な投資を行っています。IBM の商品は多岐に渡りますが、最も身近な商品はパーソナル・コンピュータでしょう。ほかにも IBM の身近な商品としては、ソフト・ウェアがあります。代表的なものに、「ホームページ・ビルダー」「インターネット翻訳の王様」「デジカメの達人」などがあります。また IBM は、同社のパーソナル・コンピュータに Windows をインストールして販売している一方で、 Mac に使われている CPU ( PowerPC )の製造もしています。」(追記)2006年、MacのCPUにインテルの製品が採用されました。

▼ディズニー
「ディズニーは、"Walt Disneys Millennium exhibition"(ウォルト・ディズニー・ミレニアム博覧会)という催しにおいて、イスラエルの首都をエルサレムとして提示しました。しかし事実としては、エルサレムはイスラエルによって国連安保理決議 194・242・252 を始めとする数々の決議を堂々と無視して 1967年以来 30年以上に渡って不法に占領され続けている土地に過ぎません。イスラエル外務省は、イスラエルの首都を「エルサレム」として提示するというこのアイデアに対して 180万ドルを与えました。これは、エルサレムが占領中の土地であるにも関らず首都であるかのように宣伝して既成事実化しようと目論むイスラエル政府のキャンペーンの一部として行われたものであるとのことです。」


[その他、イスラエルの経済に大いに貢献している主な企業]
ダノン、エヴィアン、ロレアル、サラ・リー、ヘインズ、チャンピオン、ジョンソン&ジョンソ、ワンデー・アキュビュー、リーチ、バンドエイド、ノキア、







ちょっとした葛藤。

私は高校生の頃から、おしゃれをすることをすごくうしろめたく思っていた。
興味はものすごくあった。もちろん、おしゃれはちょっとはしてる。でもいつも、うしろめたかった。

フェアトレードとか貧困とかを考えていると、農薬たくさんかけた綿を使って生産者の健康を害し、工場で労働者を酷使して、大量生産されるアパレル製品たち。
それを大量消費する日本のファッション界。
流行が廃れればすぐに大量廃棄される服たち。
ファーのために殺される動物たち。
貧しくて飢えている人たちがいるのに、自分を着飾ることばかり考え、募金もせずおしゃれのために無駄に出費をしていくことの罪。

そんなことを考え出すと、手放しでおしゃれするぞ!!って思えなかった。
むしろ、おしゃれな子を軽蔑していた感も否めない。
それは可愛い子に対する単なるひがみだったかもしれないけど。

最近ダルビッシュサエコが好きになり、ただ純粋に、もっとかわいくなりたい、おしゃれ楽しみたいって思った。すごく思った。
20代の今、女の子を楽しみたいと。
今しかできないかっこをしてみたいと。

いろんなファッション雑誌に載ってる服とかサエコが着てた服とか、欲しいと思う服はすべてフェアに生産されたものではない。
そして、People Treeとか、フェアトレードな服はたまに欲しいと思うけど、必ずしも欲しくなるものではない。

すべての服をフェアにして!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

と叫びたい。

アパレル業界のほとんどは中国を拠点にし、中国の人権意識が高まり賃金が上がればどんどんベトナムへと拠点を移していく現状。
安いものに消費者が群がる動かしがたい事実。
企業も消費者もただ安いことにしか価値をおかない。
私だって、高い服買えないし買いたくない。
自分の富を手放したくないから。
途上国も、労働力安いから、雇用が生まれてる。発展してる。
その安い労働力に負け、日本では非正規雇用が増え日本でも貧困が生まれていく。

叫んだって簡単には変わらない。
変え方もわからない。

made in chinaを買わないことが解決でもない。
おしゃれをしないことが解決でもない。
すべてをfair tradeにすることが解決でもない。

誰も傷つけずにおしゃれをしたいよ。

私は強くそれを思う。
それを思う人が多くなれば、きっと世の中は動いていく。











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