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骨髄移植日記?

内定もらえなかった。。。。。

うぅ。。。

採血の結果、私に出た通知は「選定保留」。
二番候補として待つことになりました。

だから、一番候補の方が万一事故にあったり、最後の最後で家族に大反対されるなどのよっぽどのことがなければ、私がドナーとなることはないのです。

25cc採血で倒れたりなんかしたからだよなぁ。私の細胞若くてぴちぴちなのに。
残念。

周りの人にこの旨伝えると、「よかったね」と皆言います。
唯一「残念!」と言ったのは、東京に来る口実を失った母のみ。

そんな簡単に希望の光になれると思うな。ちゃんと勉強して経験積んで、自分の力で人に必要とされる存在になれ、あまったれんな、と神様が言ってるんだろうな。
はい、頑張ります。

そんなわけで、たぶん骨髄移植日記は今回で最終回となるでしょう。たぶんね。
?くらいまで続く予定だったんだけどな。連載打ち切りです。

一番候補の移植がうまくいくよう願うしかないですね。
よくなれよくなれ。

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 骨髄移植日記①とか書いて、さて②があるかはわからないのですが、とりあえず書きます。
 骨髄移植提供依頼書が来た後、ドナー予定者が何をしてるかを記しておきたいのです。

 この前、採血をした。

 私が本当にドナーになれる健康な人間かどうかの最終チェック。
 
 そして、ちゃんと理解するために、コーディネーターが丁寧に説明をしてくれた。

 ドナー予定者には、コーディネーターが一人つく。
 依頼書が来てから手術後まで、一連の流れをずっと、コーディネーターがついていてくれて、彼女が私と病院と財団とをうまく調整してくれる。
 私のコーディネーターは、もう8年もやってるベテランのおばちゃん♪将棋大好きな人。
 1時間ほどの骨髄移植に関する説明も、もうお手の物です。
 
 採血した後、2週間ほどで検査結果が我が家に通知されるそうだ。
 そして検査結果は4つの可能性があるらしい。
 ①移植よろしく(内定)
 ②移植はできません
 ③2番目の候補者としてとりあえずよろしく
 ④ちょっと延期

 私は内定という言葉にぴんって反応してしまった。ああ内定ほしい(あらゆる意味で)。
 
 もしも移植に進んだ場合、自分の血を200~400cc採血する。これは移植後自分に輸血するため。
 そして、入院して、骨髄とって、退院して、しばらく様子見て、終わり。

 お金はかかりませんってこととか、移植前はあまり運動とかしないでね、お酒はひかえてね、風邪ひかないでね、とか、いろいろ説明を受ける。実際の手術の様子の写真とか見せてもらえた。

 はい、わかりました、とした上で今度は、その日にする採血についてサイン。
 検査のために血とらせてね、もしかして検査後にその血を試験に使うかも、データも研究に使うかも、よいかしら?という紙に、よいですよ、とサイン。
 そして、かわいい女医さんから問診を受けた。薬のアレルギーある?とか麻酔大丈夫?とか。

 そして採血。
 情けないことに倒れてしまった私。

 たった25ccなのだけど、針入れてしばらくとられてると、頭から血の気がひいていって、目の前が白くなる。中止してベッドに連行され、頭を下にして休む。
 前も献血した後倒れたことあったんだなぁ。
 こんなんで骨髄移植とかできるのか私。不安になってくる。

 ただ、かわいい女医さん曰く、「私が会ったドナーの中で一番若いわ☆ 若ければ若いほどいいのよね。細胞がイキイキしてるから♪」らしい。イキイキしてますよ、私の細胞。

 とりあえず来週くらいに通知がくる。内定出るかな。どきどき。

 

 



 

 

 
 
 

 
 話題としてはほぼ1ヶ月も前で今更な感じはしますが、ファルージャのゲームについて書きたいのです。

 コナミが協力開発したゲーム、Six days in Fallujah が販売を自粛したという。
 2004年11月のイラク・ファルージャでのアメリカ軍の作戦をゲーム化したもの。
 実際の米兵の協力を得て、現実に即し制作したという。

 平和を求める団体の多くが、このゲーム化を非難した。販売禁止を叫んだ。
 その理由は、虐殺をエンターテイメント化・美化・商業化することは無神経であること。米兵の遺族やイラクの人々が見たら苦痛を覚えること。報復感情を起こさせること。米兵の数々の非合法な作戦を承認してしまうおそれがあること。米兵の立場で虐殺を進めるつくりになっているから、アメリカの虐殺を正当化させるおそれがあること。などだ。

 理解できるのだ、とても。共感もするのだ。

 しかし、思う。あえて出すべきではないのか。

 平和を求める一人として、出すべきだと主張してみる。

 本当にそのゲームが米兵の証言に忠実に作成されたのであれば、米軍の虐殺の悲惨さを世界中に伝える力になると思うからだ。国際法で禁止されている白リン弾を使用したことも、軍人か文民か区別もつかないのに殺していたことも、そうやって普通に暮らしていたイラクの人が数千人も虐殺されたことも、銃を標的に撃ちまくる高揚感も、痛み以外リアルな現代のゲームに載せて、世に出したらいい。
 独裁からの解放だとか、民主主義と自由だとか、テロとの戦いだとか、イラクの人々のためだとか、そうやって大義を掲げてアメリカが兵を出し、その戦争を日本を初め多くの国が支持し、40カ国もが軍隊を派遣し、その結果のひとつとしてある悲惨なファルージャでの6日間。
 教科書よりも映画よりも、よりリアルな戦争の記憶となるだろう。
 戦争を止められなかった歴史の汚点、現在も占領・内戦が終わらない泥沼、アメリカや日本のおろかさ、人を殺していく恍惚を持つ人間のおろかさ、すべてを露呈してほしい。

 戦争の正当化にはつながらないと私は信じるのだ。
 すべてのおろかさを、世に問える。

 戦争の加担者でありながら、平和を享受し、その上で刺激を求め戦争ゲームを娯楽とする人々。
 その一方で、日常を奪われ死の恐怖とともに毎日を暮らし、痛みや悲しみにくれる人々。

 どちらも現実だ。
 不公正きわまりない。

 平和を享受して今生きる私は、戦争の加担者ではありたくないとただただ思う。
 戦争を支持する国にしてなるものか。
 憲法9条を捨ててなるものか。
 絶対的平和主義者だね、ふっと鼻で笑われようとも、そう思う。
 
 ゲームという戦争の記憶があってもいいと思う。
 戦争はおろかだ、繰り返してなるものか、そういう記憶としてあってほしい。
 

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