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 勝間和代が嫌いだ。
 彼女がどう生きるか自体はどうでもいいのだけど、彼女が支持されるこの社会が、私には生きづらかった。
 私が尊敬する先輩が何人も、彼女を支持していて、それが私の中では苦しかった。

 だから、香山リカが「勝間和代を目指さなくていい」と言って本を出したとき、本屋さんでガッツポーズをした。

 最近のこの二人のやりとりは、私の中のもやもやとした矛盾を表現しているようで、とてもおもしろい。

 勝間和代が、この新自由主義社会の中で「勝ち組」として、効率的にスキルを身につけ、金を儲け、向上心と上昇志向の塊の、バリバリと働くキャリアウーマンの象徴であるなら、香山リカは、「負け組」に位置付けられる人々の代弁者で、「頑張らなくてもいい」と上昇することを求めず、今の普通の生活で十分満足できるソコソコの女性といえるだろう。

 私の中では、強いキャリアウーマンに対する憧れがあって、実力社会・競争社会の中で、バリバリと仕事をしながら、家庭も子育ても完璧にこなす女性をかっこいいと思う気持ちがある。けれども負けず嫌いでもなく、のほほんとした私は、実際にはそんな風になれずに、劣等感と嫉妬ばかりにさいなまれていくばかり。勝間和代が嫌いということは、自分が負け組の怠け者ですと断言するかのようで、こわかった。

 でももう開き直ることにした。
 誰かに勝ちたい、とあせって肩肘はって頑張るよりは、もっと自然にしなやかに、肩の力を抜いて、今を楽しめる人の方がきっと自分には合ってる。

 「もっともっと」と自分の成長ばかりを急ぐ生き方よりは、「今が十分満足」と足るを知る生き方の方が、私は幸せになれる。

 開発や発展ばかりを追う新自由主義的な国よりも、インドのラダックだったりブータンみたいな国の方が好き。
 前近代社会をそうやって理想化し、文明を否定したくなって、でもそこでまた迷う。

 自分がこの近代社会から逃げられないこと。
 「その前近代社会が本当に幸せだったんなら、どうして人々はその世界をやめて近代化したの?」というフミヤくんんの言葉に、ちゃんと答えられなかった。
 今すぐ高畠(山形県)に移住して有機農業で自給自足する生活をすることは可能なのに、私は近代都市東京のビルの中で働くことを選んだ。

 マンゴーが好きで、スタ丼も好きで、可愛いワンピースだって好きで、海外旅行も好きで、グローバリゼーションや市場原理、近代を否定して、ローカリゼーションだ地産地消だ有機農業だ、非近代だ、と叫んだところで、まるで説得力がない。

 そんな自分の中の矛盾に惑い、結局田舎のネズミを羨む都会のネズミのままだけれど、でもそれでも、私が目指したいのは、「懐かしい未来」だと頑固に言い続けたい。
 少し話がずれてしまったな。
 でも、ふたつの相容れないものの狭間で、それでも「こっち」が好きと、口だけでも言い続けることから、始めたいのである。

 

 
 
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 「いらない」ということ、そして「誰かのために働く」ということ。
 それが大事なんだよと、『千と千尋の神隠し』が言っているような気がする。

 高度近代の湯婆婆の世界。働かなければブタにされてしまうという魔法の中で、名前を奪われ、代替可能な労働商品となって、人々が金のために自分の欲望を満たすために、大きな組織の歯車となって労働する社会。千尋は名前を奪われ千となり、働く。湯屋は、現代のサービス産業。

 そんな中現れたカオナシは、金を出し、金を欲しがる人々の欲望を呑み込んで、その人そのものを呑み込んで、どんどん際限なく肥大化していく。グローバリゼーションを加速させる新自由主義。あらゆるものを商品化し、国家や企業社会、家族、あらゆる共同体を破壊する。なんでもかんでも金と交換可能な商品にしてしまう。つながりの希薄。カオナシはつぶやく。「寂しい」と。

 「もっと欲しい」「もっと豊かになりたい」「もっとお金がほしい」そういう欲望がどんどんカオナシをでかくする。湯屋の人々は金をくれるカオナシを、恐れながらも崇拝し、すりより、そして呑み込まれ、どうすることもできない。

 そんなカオナシを止めたのは、千尋の一言。
 「私、いらない。」

 千尋は、ハクを助けたいと一生懸命だった。金のためではなく、誰かのために、頑張っている。誰かのために、そういう人的つながりが、千尋の生きる原動力で、金なんて関係ない。そういう誰かのためという愛があったから、千尋はカオナシを止めることができた。そして、ハクを魔法から解放できた。

 千尋は、カオナシを、銭婆婆のところへ届ける。
 銭婆婆は、ひっそりとした田舎で糸を紡ぐ前近代の手工業の世界。人が生きていくのには、このくらいが十分で、人の欲望も、ここでは落ち着いていられる。


 私たちは魔法にかかっているんだ。湯婆婆の魔法。
 労働商品にならないとこの現代資本主義を生きていけないと。
 「もっと欲しい」という欲望を喚起されて、自分に労働商品として市場価値をつけて、不安と孤独の中で、あせってあせって、もっと効率的に、もっと合理的に、お金が大事で、進歩だけが大事で、自分の成長が大事で、それが幸せだと信じて。

 そんな魔法から一瞬にして解放してくれるのは、千尋の言葉。
 「いらない」

 誰かのために働くこと、人とつながること。
 人が生きていくために必要なのは、そういうこと。銭婆婆の世界を忘れないこと。
 名前を取り戻して生きること。
 

 千尋に学ぶことって、たくさんある。
 
 

 
 
 

 
 


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