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 「大丈夫って言えないけど、大丈夫であるようにって思ってる」

 Coccoは言った。

 是枝監督がCoccoを映画にした。
 『大丈夫であるように』
 http://www.dai-job.jp/

 うたうたいCocco.
 ひらすらひたすら歌い続ける。

 沖縄で生まれ、沖縄で育ち、沖縄を愛するうたうたい。
 ひめゆりの乙女も、米軍基地も、汚されていく海も、居場所を失うジュゴンも、それらの痛みを全部引き受けて、彼女は歌う。生きる。
 一通のファンの手紙から六ヶ所村を知り、青森まで旅をし、そこで息をし水を飲む。そして、「六ヶ所村は沖縄みたい」といい、その村の痛みを引きうけ、涙する。

 痛々しかった。
 ほんとに。
 あまりにも繊細な表現者は、他者の痛みを全身で引きうけ、何かしたいと苦しんでいた。悲鳴をあげていた。苦しむ他者のためにひたすらひたすら歌い続けながら、その声で何万人もの人に力を与えながらもなお、「何も変えられない」「私は無力」「自分に自信がない」と、泣いてばかりいた。
 
 向き合いすぎて、他者の痛みを引き受けすぎて、あまりにも繊細な彼女は壊れていく。見てわかる。拒食症でがりがりにやせた体で、目の下にくまをつくって、体中で悲鳴をあげながら、悲痛に叫びながら、それでも、自分の歌を届けたくて、ひたすら、笑って、歌って、思いを発し続けていた。
 
 泣かないで。
 そんなに苦しまないで。
 あなたの声で、こんなにも救われているのに。

 私は必死にCoccoに向かって言った。
 きっと是枝さんもこれを言いたかったんじゃないだろうか。優しいいとおしい眼差しで彼女を映し続けながら、彼女のすべてを引きうけ、彼女を肯定したかったんじゃないだろうか。

 高度成長だとか安全保障だとか、多くの日本人の物質的豊かさの犠牲を押し付けられている場所がある。沖縄であり、六ヶ所村であり。。。水俣病もそうだっただろう。
 私たちが豊かな生活を手に入れたくて求めているものの後ろで、悲鳴をあげている人たちがいて、その痛みを引き受けようとしている人がいる。
 私はチッソの側には立ちたくない。きれいごとだけどそう思う。できれば、多くの人の日常の犠牲として痛みを負っている人たちの側に立ち、その痛みを癒せる人に。

 報道することでも、政策をつくることでも、歌うことでも、フェアトレードの服を作ることでも、何かを変えることができ、何をも変えられない。筑紫哲也も、緒方貞子も、Coccoも、サフィアミニーも、戦争を止めることも環境破壊も殺人も自殺も止められなくて、でもそれぞれの役割で、それぞれのできることをし、死ぬはずだったかもしれない人を、死なせずに救ったのかもしれない。何もしていないのかもしれない。でもとにかく思えるのは、彼らは間違いなくかっこいい。
 スーパーマンにはなれなくて、何をしても何も変えられないんじゃないかって思い、自分の存在の小ささ無力さに嫌気がさし、どの職業にも限界を感じ、自分の存在に嫌気がさし、そんなことばかりを思い、未来を惑う最近。
 世界のすべてを救いたくて、世界のすべてを破壊したい自分がいる。

 「悲しい歌はいらない 優しい歌だけでいい」

 自分の人生で成し遂げられることなんて何もないのかもしれない。
 でも、生きているうちに、何かひとつでも、優しい歌を、歌いたい。
 

 

 
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