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懐かしい未来

 『懐かしい未来』というドキュメンタリー映画を見た。

 この映画を見て、今更ながら、自分の心が農の道を選んだことに納得した。
 問題意識ばかりあっても、自分が将来何をしたいのかわからない真っ暗闇の中、ふっと降りてきた農業という一筋の光は、決して偶然ではなかったのだと思う。

 私の今までの問題意識、ホームレスの社会的排除とか自殺とか孤独死とか、居場所のなさとか存在の小ささとか、貧困だとか貧しいコーヒー農家とかフェアトレードの必要とか、言ってしまえば結局、「近代」ってもののいやなところだった。

 『懐かしい未来』は、インドのカシミール州にある小さな村ラダックのお話。
 スウェーデン人言語学者ヘレナ・ノーバーク・ボッチがこの村の光と影を描いた。

 ラダックは、1970年代までほぼ鎖国状態、自給自足だった。
 そこでは、家族みんなと近所の人みんなで小麦耕して、家畜育てて、織物で服つくって、日干しレンガで家つくって、じーちゃんが孫を面倒見て、家族の代表たちが村の大事なことを決めて、宇宙の真理・チベット仏教がいつも心の中にあって、そこではみんなが支えあい、強くつながり合い、自分たちの生活を自分たちでまかない、自立していた。
 「ラダックで一番貧しい家に連れていって」とヘレナが訪ねると、「この村に貧しい人なんていないよ」と村の人は答えた。

 しかし近代化の波はたった20年でラダックを呑み込んだ。
 海外からの補助金つきの安い農作物が流入し、ラダックの人たちの小麦は町で売れなくなり、彼らは農業をする意味を失い、町へ出た。西洋の情報があふれ、自由に憧れ、物質的豊かさに憧れ、人々は工場ですりきれながら働き、時間を失い、自分を労働市場の労働商品として、専門化して売り込むことでなんとか生き、お金を得て、物を買い、失業したらホームレスとなる。お父さんは工場で働き、子どもは近代教育で学校に行き、英語で教育され、西洋近代の価値観をすりこまれ、お母さんは家で孤独に主婦をやり、おじいちゃんは厄介者扱いされるようになる。宗教別に教育されるようになると、他の宗教の人たちと交流がなくなり、理解し合えなくなった。
 「最近は人間関係がぎくしゃくして、みんなばらばらだ」
 「確かに発展したけど、前より幸せではないよ」
と、ラダックのある人は言った。
 みんな、すべてから孤立し、そして自分の生活は世界の誰かに依存して、お金がなければ生きていけなくなった。
 かつて「この村に貧しい人なんていないよ」と答えた人は言った。「今はみんな貧しい」と。

 ラダックの村の近代化は、この20年。ほんとにあっという間。
 近代化した後のラダックは、環境問題やた社会問題やら民族対立やら、まるで、今の日本だ。開発し、近代化し、発展した後の幸せになりきれていない日本の図と同じだ。
 孤独で、労働商品になりさがって、自分の存在意義も忘れて、就職活動で自分を見失うなんて、近代にただ呑み込まれているだけだ。
 
 そして、近代化とグローバリゼーションに呑まれて町へ出るラダックの小規模農家たちは、自由貿易にやられる今の崩壊寸前の日本の零細農家と同じだ。

 この近代化の次の未来は、より近代化を加速させる方向にはない。
 かつての伝統社会が持っていたものを取り戻す方向にあるのだと思う。
 だから、これからの未来は懐かしいのだ。

 単に、自給自足に戻るわけではない。
 伝統社会の知恵を、今なりにアレンジしたもの。未来版の伝統社会が必要なんだ。
 有機農業は私にとって、未来版伝統社会を作るための大事な手段だ。

 近代化や新自由主義に飼いならされて、その中であくせく効率的にスキル身につけなきゃふるい落とされるけど、でも、これからの『懐かしい未来』を作っていくのは、私たちの世代だから、飼いならされ、波に乗ってる場合じゃない。
 新しく波を作っていくのだ。

 

 
 

 

 

 
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