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世代責任

 気づいたら、このブログを始めて1年。筑紫さんの遺志を継ぐのだと思い上がって始めたこのブログ。 論を楽しみ、自由の気風を守ること。
 ブログでは好き勝手書いて、日常ではなんとなく周りとの距離をはかりかねている。筑紫さんへの道はまだまだ程遠いなぁ。

 筑紫さんはよく、「世代責任」を口にする。
 自分たちの世代が、子どもだちにどのような国、どのような日本社会を受け渡すべきかを考え、すごく責任を感じていた。それは、10歳で戦後を迎えた筑紫少年の、大人への批判精神の裏返しとして。
 
 今日その文章を読んで、ふとまた、ずしっと重みを感じた。

 ああ、受け渡されるんだなぁ。この社会を。

 来年から社会人になるということ。大人が作った社会をそのうち受け継ぐ子どもではなくて、社会を作っていく、次の世代に受け継がせるべき未来を作る世代になる、ということ。いろんな問題を作ってきた大人を批判してりゃいい時間は、もう二度と来ない。来年から、受け渡されちゃうんだわ。

 こんなことを書くと、私のゼミの先生に、「何言ってるの。学生も学生という名の社会人です」とぴしゃりと怒られてしまうな。

 人間なんて社会の産物でしかなくて、自分という人間がどう足掻こうが、結局は作られた舞台の上で滑稽に踊るただの道化だ。自分の人生なんて自分で作れるものじゃない。
 時代やら社会やら、家族やら学校やら、組織やらポストやら、いろんなものに規定されて作られる私という人格。そうやって生きてきた私が、社会を受け継ぎ、作っていくのだな。そして、その社会によって、誰かがまた規定されていく。世代責任って、重いね、筑紫さん。

 そんなことを思う、1年目の多事争論。
 

 

 
 
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コメント

奈穂さんの多事争論をひさしびりに読めてうれしい。

奈穂さんは社会学専攻なのだったっけ?
いずれにしてもお勧めの書籍を紹介してほしいなあ。
奈穂さんの思想や哲学を形づくっている本が知りたいです。
2009-11-17 03:23 | うっちー #- URL [ 編集 ]

うーむ。人間なんて社会の産物か。
極言すればそーなのかもしれないけど、でもそうやって言葉で規定されることで切り落とされる「何か」を見落としたくないよね。そこに苦悩とか喜びとか機械じゃない人間の姿があるんだと思う。
2009-11-17 19:45 | カルロス #- URL [ 編集 ]

Re: タイトルなし

うっちーさん、お久しぶりです。
コメントありがとございます。

私は社会学部ですが、文化人類学と政治学のゼミです。
なんかこういう考えをしちゃうのは、4年間社会学部にいたことがきっと大きくて、一番には人類学のせいです。私の先生がきっと一番影響してるんだと思います。

正直あんまり本を読まないので、どの本が私の思想基盤かっていうのは、なんだろう。悩んじゃいます。
わかったらまた連絡します!
でも、世代責任についての筑紫さんの文は、『筑紫哲也 永遠の好奇心』朝日新聞出版 です。



2009-11-17 20:00 | 奈穂 #- URL [ 編集 ]

Re: タイトルなし

うーむ。
なんだろう。

生身の人間が喜び、涙を流し、そうやって日々を生きていることを軽視するつもりは全くなくて、むしろ人類学やってるとそういうものを重視するようになるよ。
でもねたとえば、食卓に豚の角煮が出てきたら、私はわーいって喜ぶけど、イスラム教の人だったり、ベジタリアンの人はやだーって思う。
天皇のために死ぬことを、私はばかばかしいと思うけど、60年前の若者は名誉だと思う。
結婚前の男女が一緒に住むことを、私はいいんじゃないって思うけど、母の世代はゆるせないし、他の宗教では私は殺されかねない。

自分の価値観とか、自分の感情、何に喜び何に泣くかって、何が正しくて何が悪いかって、完全に自分のものではないよね。
どういう家庭・学校・組織・国・時代に生まれ育ったかで、全く違う。
自分ってただの入れ物みたいな感じがしない? 

そうやって、いろんなものに規定されながらも、そういうものを変えてやろうって思いで、自分の人生なり社会を作っていくこと、そういうあがきは無意味とは思わない。
変えてやろうと思う自分さえも作られているけど、でも、自分個人の力でできることも、少しだけど必ずあると思う。




2009-11-17 20:24 | 奈穂 #- URL [ 編集 ]

なるほどなるほど。最近のなほの様子をちょっぴりかいま見た気がする。笑 気のせいか笑

言ってることは何も間違ってはいないと思う。それに、それはとてつもなくデカイ力だし果たして俺らみたいなちっぽけな人間がちょっとでも変えられるのか?!とも思ってしまう。もちろん、それ以前に変えるべきなのか?という問いに答える必要があると思うけれど・・・。

規定されることってのは、少なからず世の中と関わって、人とかかわり続けていく人間という生き物としては宿命な気がする。規定があることで苦悩するだろうし菜穂の感じている「虚無感」的なものも少し分かった気がする。でも規定がなかったらそれはそれでカオスになって生存し続けることすら難しくなるのかもしれない。

俺は海外に出たり人に会ったりして、わりと自分の規定と相手の規定にぶつかったり、違いがあるのが面白かった経験しかないから、あんまりそこに空虚な感じをみたことはなかったから、すごく新鮮な感じがしてる。でもそういう海外に出るって作業も、もしかしたら規定の中で埋もれる自分から逃れるためなのかもね。笑

なんかグダグダになってきちゃった。笑

要はさ、俺はそれが社会から規定された考え方であろうと人の受け売りだろうと、自分が心から真実だ!と思えるのならば、それでいいと思うんだ。もちろん、独善的にならないためにもそれは死ぬまで「本当に真実だろうか」って問い続けなければならないと思うけど。
社会の規定にガンジガラメになる中で、自分にとっての真実を見つめるその姿に、イメージだけどすごく人間臭さを感じる気がする。

答えになってるかわかんないけど!笑
2009-11-18 11:41 | カルロス #- URL [ 編集 ]

Re: タイトルなし

> なるほどなるほど。最近のなほの様子をちょっぴりかいま見た気がする。笑 気のせいか笑

や。気のせいではない笑。

> でもそういう海外に出るって作業も、もしかしたら規定の中で埋もれる自分から逃れるためなのかもね。笑

うん。そうだと思う。
自分にとっての真実を、相対化できるから。
違う人とか違う場所とか違う時代とかを見ることって、自分の真実って違うじゃんってことを知るためにあるんだと思う。自分が選んだ価値観のつもりでも、規定でつくられてたってことを知れるよね。

> 要はさ、俺はそれが社会から規定された考え方であろうと人の受け売りだろうと、自分が心から真実だ!と思えるのならば、それでいいと思うんだ。もちろん、独善的にならないためにもそれは死ぬまで「本当に真実だろうか」って問い続けなければならないと思うけど。
> 社会の規定にガンジガラメになる中で、自分にとっての真実を見つめるその姿に、イメージだけどすごく人間臭さを感じる気がする。

うん。自分が真実だと思うものって、自分にとってしか真実でないよね。
どれが真実なんてわかんないけど、自分の頭で考えて信じるしかない気がする。
で、その通りに生きようとして他人とぶつかっちゃう。。。

カルロスの人間くささって、そこから来てるんだね笑♪



2009-11-22 00:30 | 奈穂 #- URL [ 編集 ]

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