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Free Tibet

 チベットに行ってきた。

 学生最後の旅の場としてチベットを選んだのは、社会人になってから行くのが難しそうだから(時間的・体力的・入境許可的に)と、中国からの独立を目指す動きがあるという政治的危うさと、開発に消えゆく宗教・文化・非近代の営みを感じてきたかったから。

 『「チベット問題」を読み解く』(大井功)と『ダライラマ自伝』にしっかりとカバーをかけて、おともとする。
 行く前にこの本を読んだときは、中国ひどい!チベット解放すべし!との感想だった。

 実際にラサの人たちを見て、チベット問題というものがわからなくなってきた。
 私の目には、チベットの人たちは、実に平和に幸せそうに見えたのだ。
 
 ポタラ宮の周りを、マニ車(中にお経が入ってて1回まわすと1回お経を読んだことになる優れもの)を回しながら、五体投地をしながら、ほのぼのと歩いている人たち。喫茶店でバター茶(飲むバター)を飲みながら、にこにことチベット語で話し続けるおばちゃんたち。郊外では、牛を飼い、牛に大麦を食べさせて牛の糞を固めて燃料にするおばあちゃん。

 漢族もたくさんいて、町中には漢字があふれ、中国旗がポタラ宮の頂上を始め、個人の家にもいたるところにあふれている。でも、チベット人だって中国料理を食べ、漢族だってチベット料理を食べ、チベット人は中国語を話し、中国人の友達だっている。警察と軍は驚くほどたくさんいたけれど、なんだか暇そうに談笑してる。

 実にうまくやっているように見えてしまった。
 ラサに3日間滞在した私には、平和そうな光景が「真実」だった。
 2008年の暴動など、一部の過激な人たちが「独立」を叫んだだけなんじゃないかとさえ思った。

 そうやってほのぼのと「チベットってね、すっごく平和そうだったよー。」と日本で伝えそうな私の帰途に、活仏が現れた。

 「仕事何してんの?」と問うと、「活佛」と答えた普通なおじさん。

 「活仏って何? 僧侶?」と問うと、macbookを取り出し、動画を見せてくれた。そこには、僧侶に拝まれている袈裟姿のおじさんがいた。活仏、つまりはダライラマのような仏の生まれ変わりか。
 中国語は漢字の筆談が勝負な日本人の女の子二人。友達のノートに、活仏は書いた。
 「我不喜欢 中国」
 その瞬間、友達と顔を見合わせ二人で凍った。
 横には中国の公安。

 私たちにその意味がわかると、活仏はその文字をペンでぐちゃっと塗りつぶした。

 その後も、活仏は、筆談で一生懸命私たちに思いを伝えてきた。
 たくさんのチベット人が中国軍に打たれて殺されたこと、たくさんの僧侶の服が引き裂かれたこと、僧侶は500人以上亡命したこと、チベットの文化や歴史が破壊され、チベットがどんどん漢化していること。
 活仏は携帯の画像を見せてくれた。
 隠れて撮っただろう軍隊の写真、虐殺が行われた洞窟の写真、ダライラマ14世の写真、チベット国旗の写真。
 それが見つかれば、逮捕され消されてもおかしくはない。
 手で隠しながら、自分は雑誌を読んでいるふりをしながら、書いた文字は塗りつぶしながら、おじさんは伝えてくれた。いのちがけ。

 真っ黒になったノートを見て、胸がしめつけられた。友達が、墨塗りの教科書みたいと言った。
 これが、不自由ということだと。

 「チベットの真実を知るには、君たちの滞在は短すぎる」
 「君たちはとても自由だ」
 活仏は書いた。

 成都に着いたとき、すごく解放された気がした。
 それは、高山病や寒さからの解放でもあったけれど、軍隊が監視していないことに対する解放感と、ダライラマとか政治的キーワードをなるべく使わないように気をつけていたものがとれた解放感。
 ラサの窮屈さがわかった気がした。

 Free Tibet と思い、空を仰ぎ見た。

 2008年は、Free TibetのFreeが国家としての独立を意味するのなら、私はそれを口にしたくはないと思っていた。でも、チベットの不自由さを旅行者でも実感してしまって初めて、Frre Tibetの意味がどっしりとわかった。
 
 自由を求める声が銃声にかき消される理不尽さ、いいたいことを言えば逮捕されてしまうかもしれない窮屈さ。この状態が続くわけがない。中国がたくさん入りこんでいる今、完全な国家としての独立は無理だ。ダライラマのいう高度な自治は何故認められないのか。チベットが、民族宥和のショーケースだというのなら、中国政府は、しっかりとチベットの指導者と対話をし、双方が本当に合意できる道を探るべきではないのか。Googleにチベット問題のサイトが出てこないように規制させてる場合じゃない。
 日本にいて得られる情報も完全でないかもしれないけれど、しっかりと注視していかなければ。
 何もできないことはもどかしいけれど、心を向けていたい。

 そして。

 この日本の「自由」を守りたいと思った。
 新自由主義者たちが自由自由と言っているゆえに、自由の弊害ばかりを今まで見てきたけれど、大学生が卒業旅行に好きなとこに行けて、好きなように発言できる、この日本の自由は貴重だ。「君たちは自由だ」と活仏の言うとおりだ。
 10歳で終戦を迎え、生涯ジャーナリストとして自由の気風を守るために尽力してきた筑紫さん。
 筑紫さんが守りたかった日本の「自由の気風」ということの意味が、わかったような気がする。

 一人の国民として、この「自由」を守りたい。
 
 
 
 
 
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