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 公務員になる人が、まずサインさせられる宣誓書がある。

 公正な立場で国民の奉仕者として働くこと。
 日本国憲法を遵守すること。
 法律を守ること。
 上司の命令に従うこと。
 不偏不党であること。

 おおよそこのようなことが、文章になっていて、その最後に日付と名前を入れるように言われる。

 私は、立ち止まってしまった。
 ここは社会学部を出た人間として、人類学ゼミに2年いた人間として、立ち止まる感性を持たねばならんだろうと思った。

 ゼミで半年かけて、ハンナ・アーレントの『イェルサレムのアイヒマン』を読んだ、
 ナチスドイツにおいて、ごくごく普通のつまらん官僚のアイヒマンが、「合法的」に「上司の命令に従って」、ユダヤ人課の責務として600万人のユダヤ人を殺した責任者となった。その裁判の記録を読んだ者として、そしてこれから巨大な権力を持つ組織の歯車となる者として、法律に従うことが、上司の命令に従うことが、必ずしも正義になりえないことを心に留めなければならないと思った。

 巨大な暴力を行ったドイツ軍の規定には、過去の反省から、現在、「最終的には自分の良心に従え」という一文があるという。

 大きな組織で大きな物事を動かす際、構成員が組織の歯車となることが、必要不可欠だ。
 しかし、その大きな力が間違った方向に進もうとしているとき、歯車として従うことなく、一人一人が自ら思考し、方向を見直すことがなければ、過去の暴力は、繰り返されてしまうかもしれない。

 「あのぉ、これ、サインしなかったらどうなるんですか?」
と、担当の先輩に聞いてみた。

 「どうなるんでしょうね」
と、先輩は笑った。同期も笑った。

 まぁ、そりゃ笑うよね。

 紙切れ一枚、通過儀礼でしかなく、私以外の全員はさらりと名前を書き、宣誓書は集められようとしていた。

 うう。

 そうだ。まず、「公正」であること、「国民の奉仕者であること」が記されている。それが前提であれば、それに反する法律や上司の命令に従う義務は私には生じない。憲法も、13条や25条は、まだしばらくは変わらないだろう。憲法遵守もまだ信用できる

 そんな解釈のもと、私は名前を書いた。

 書いたけれど、なんだか踏み絵を踏まされた気分だ。

 これが私の「社会化」の第一歩。
 
 組織の中で生きるために、自分の中で解釈をし、なんとか折り合いをつけ、正当化に成功だ。

 「感性を売り渡してはいけない」
 「くじけないでね」
 「折れず、吸収されず、頑張って」

 私の目を見てまっすぐに送り出してくれた先生の前に、私はちゃんと堂々と帰れるだろうか。
 先生は、学生が「社会化」されることを、すごく危惧していた。

 「国民のため」というが、「国民になれない人」のことも忘れないで、と、他の教授も、卒業式前にメッセージをくれた。

 自分が目指すべき理想に迷いながらも、それでも自分が社会人として成すこれからの仕事を、しっかりと思考して、やっていかなければ、と思う。勉強しなきゃな。

 コピーばかりをとっている、そんな社会人1日目。
 
 
 

 
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