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 真山仁『プライド』という最近出た短編小説集に、「ミツバチが消えた夏」という作品がある。
 すごくしびれてしまった。

※これから作品を読みたい人には、ネタバレになるので、要注意。

 ミツバチの死と向き合う元ジャーナリストの話。

 主人公のジャーナリストの悠介は、紛争地のジャーナリストとして、悲惨な紛争地の虐殺や難民キャンプの写真を撮り、平和な先進国にその写真をつきつけ、悲惨さを伝えることこそ正義と思って生きてきた。
 しかし「目の前でバタバタ死んでいく子ども」に慣れ始めた自分自身に嫌悪し始める。
 それから、アフリカのコーヒーやカカオ農園で低賃金で働く子どもたちの貧困と、NYなどの投資銀行マンとのビジネスの関係性を浮かび上がらせるレポートをし、「先進国が無自覚に享受している豊かさの背景にある犠牲」を伝える責任を意識し始める。それが「自己満足に終わらない」取材だと。
 そしてそうしているうちに、「自分が当事者になって、その想いを伝える」ことの重要性を語る人との出会いにより、自ら東北で養蜂家となる。

 この悠介がたどってきた道が、自分の興味関心の変遷と同じでびっくりしてしまった。
 高校時代に紛争地や劣化ウラン弾などの悲惨な事実を知り、なんとかしたいと思った。でも事態のあまりの悲惨さと、その遠さゆえに、ピュアな気持ちを失いがちになり、無関心にのまれ、自分の中の無関心と戦い、そんな自分が嫌になった。海の向こうの彼らのために涙を流せる感性を持つ先輩たちの姿を見ながら、自分には向いていないと諦めた。
 次にフェアトレードにはまるようになる。フェアトレードにのめりこんだのは、自分の中に「当事者性」を感じることが、かろうじてできたから。自分が食べるチョコレートと、アフリカでおなかをすかせる子どもは、つながっていると思えたら、ちゃんと向き合って勉強しようと思えた。自分の中の加害者性と向き合うことが苦しいから、そこから逃げるための勉強でもあった。フェアトレードと有機農業はすごく同じ構造をしているから、卒論で有機農業をテーマにしたのも、自然な流れだった。
 そして今は、農に携る実務者の道にいる。
 
 社会をよくしたい。そのために必要な人間になりたい。
 というだけの単純な思いは、数年ころころと形を変えて、今の形にとりあえず落ち着いている。

 さて主人公悠介は、養蜂家となってから、ミツバチの大量死にみまわれる。
 原因究明をしていくうちに、ネオニコチノイド系の農薬にたどりつくが、そこでJAや県、国という障壁の前にその真実が闇に葬られてしまう。
 強者の論理のもとに、間接的に命を奪われたミツバチ。
 今まさに死にゆくミツバチを前に、悠介は、世界中で見てきた「搾取の構図」がここにあることを思う。「確かに今、そこで生きているのに、無残に失われる命」に対する怒りを胸に、悠介はシャッターを切った。

 この悠介の「ミツバチの死」を見つめる目を、大事にしなきゃと思った。

 不条理への怒りは、きっと紛争地の写真を撮ったときから変わらない悠介の原点だ。

 最近研修などでよく「初心を忘れずに」と言われるが、私にとっての初心も、悠介と同じ、ここにあるように思う。

 オフィスでパソコンに向かう激務の中で、忘れたくない思い。
 強者の論理をふりかざす側にいる自分は、その中で命を奪われたミツバチを、悠介と同じ目で見ることのできる人間で在り続けたい。

 この小説、長編小説化してほしいな。真山仁に手紙でも書こうかな。

 
 
 
 
 

 
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