霜降り牛肉と、赤身の牛肉、あなたはどちらが好きですか。
そんなに食べたことがあるわけではないが、私は霜降りの方が、柔らかくておいしいのだよな、と思う。
しかし霜降りを選択するということを考え直さなければならないと思った。
GWに、鳥取県の牧場を見せてもらってきた。
そこは、すごく哲学を持って頑張っている牛の牧場だ。
霜降り牛肉というのは、筋肉の中に脂肪が入り込んだ異常な状態だという。
普通に生きていたら、筋肉の中に脂肪が入り込むことなどない。
霜降りを作るためには、必要以上に濃厚飼料(牧草ではなくトウモロコシとか)を食べさせ、牛の運動量を制限しなければならない。
そうやって育った牛は、よく内臓疾患になる。
つまり、霜降りの牛って、健康な牛ではない。病気の牛であることが多い。
しかも、世界的に人口が増え、新興国の経済発展による肉消費拡大で、どんどん食糧の需給が逼迫する食糧危機が迫っている時代に、4000万人の人が1年間に餓死するこの時代に、牛を病気にしてまで穀物を食べさせ、ただでさえ少ない穀物をそんな風に消費してしまっていいのだろうか。
どうせ生後21ヶ月で殺してしまう牛の健康に配慮するのは偽善だろうか。
肉用牛は普通生後21ヶ月で殺され、肉として食われる。
それは、畜産農家が出荷して採算がとれるラインが21ヶ月だから。
肉用牛の命は、たった21ヶ月だ。鶏はたった50日。
人間が肉にするために計算し、人工授精して生まれた牛。たった21ヶ月のために生まれてきた牛。
その21ヶ月、幸せであってほしいと思うのは、やっぱり偽善かもしれないと自分でも思う。
ただ、牧場のおじさんがなぜ霜降りではなく赤身にこだわる、つまり牛の健康にこだわるのか。
それは、「目先の効率を追えば、長期的にやっていけなくなる」ことを知ったからだという。一時期は目先の効率を求め、畜産をやってきたが、その後でBSEが起こり、目先の効率が実は多くの問題を引き起こし、逆に非効率だということを身をもって知ったからだという。
鳥インフルエンザや豚インフルエンザも、効率化した密飼いがウイルスの突然変異を容易にする。
しっぺ返しをくらうのは人間だ。
牧場のおじさんは、何度も言った。
「消費者が変わってほしいんだ」と。
消費者が霜降りを求めるから、畜産農家もそれを作らざるを得ない。作りたくないけど。
TVのグルメ番組で「きゃー、霜降りとろけるぅ。最高☆」とか言っているのを見ると、「ああ食べたい」とか思ってしまう。でも、霜降りの背景を知ってしまった以上、「おいしい」だけを追い求める消費者であってはいけないように思うのだ。
赤身の方が、ずっとおいしい。そう家庭でも教えられるお母さんになりたい。
「霜降りがいい」という価値観を変えたい。
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もっと動物の命が身近になれば、自分の快楽と牛の苦しみを天秤にかけられるのかな、と思うよ。
哲学的な牛にあってみたいものだ