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 秋葉原で今年の6月に無差別殺人事件を犯した加藤容疑者の書き込み。

「5時21分 秋葉原で人を殺します。車でつっこんで、車がつかえなくなったらナイフを使います。みんなさようなら」

「5時21分 ねむい」

 これを受けて、北大教授の中島岳志は言う。

 「大量殺人という大事件を起こす数時間目の反抗予告に「ねむい」と記す感覚を、私はおぼろげながら理解できる」と。

 「ぐったり感」。中島先生は言う。何もしていないのに疲れている。ぐったりとした身体を社会に強いられている。

 「『ねむい』という一言は、無意識のうちに発せられた新自由主義社会に対する違和と抵抗の疼きと理解すべきである。」



 
 「5時21分 ねむい」
という書き込みがあったことを、この中島先生のエッセイで知ったとき、愕然とした。
 おぼろげながら理解できる、どころではなく、心の奥でずどんとわかった。「ぐったり感」という感覚が、腹の底で理解できた、そんな感じだ。
 まさに私が毎日感じていた身体感覚だったからだ。

 何かにつけおそう眠気。ぐったりとした身体。目が覚めてても起き上がれない朝の絶望感。
 
 人との関係は分断され、社会的排除はあらゆる人を穴に落とし、居場所がない感覚を覚え、自分がこの世に必要とされていないむなしさにさいなまれ、ひたすらに自分はだめだと責める。自殺者は年間3万人。周りではストレスで身体を壊す友達が何人もいて、精神科に通う人もわんさか。国立市の心療内科は予約でいっぱい。大学の保健センターは、他の内科なんかが週1なのに、精神科は毎日。誰もがみんな病んでる気さえする。それでもその病を隠し、飲み会ではむなしいくらいに盛り上がる。笑顔を取り繕う。自分の人生は輝いていますと虚勢をはる。
 「ひとりじゃないよ」とあらゆるドラマや映画や歌が言い、「夢をあきらめないで」とも繰り返す。
 けれど夢を追い、かなえ、きらきらと輝くのはほんの一部の人。その成功例を見せ付けられ自分がわからなくなり、自分を見失う。お金が人間関係をぶったぎり、共同体など何もない。独居老人はどんどん孤独死を迎える。みんなひとりだよ、みんな夢なんか見てないよ。そう口にすれば「負け組」のレッテルが貼られる。

 このむなしさ。

 姜尚中の『悩む力』は大ヒット。100年前夏目漱石が悩んだことと同じ悩みだ、と彼は言う。
 100年前、デゥルケームが書いた『自殺論』もなかなか良い売れ行き。彼が提示した「社会的排除」「アノミー」は今の時代にぴったりだ。拍手を送るよデゥルケームさん。

 社会学部に3年いれば、自分のぐったり感やむなしさが、社会構造の産物だって認識するようになる。ここ100年の社会構造の変化、近代化の産物だと。だから途上国の子どもは目がきらきらしてるとみんな言うじゃないか。生命力があるって。そう認識したからって、個人は簡単に社会の影響から逃れられない。

 どうしようもないこのアノミーの中で、今はこのアノミーを見据えることしか私にはできない。

 悲鳴が聞こえる。

 どこかで。私の中で。
 

 

 

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コメント

今日初めて菜穂さんのブログを読みました。このエントリーはほんとうに考えさせられます。どうもありがとうございます。
2008-12-21 01:14 | miho matsugu #- URL [ 編集 ]

ありがとうございます。

みほさん
こんにちは。今初めてコメントに気づきました。
ありがとうございました。
まともなコメント初めてだったのですごく嬉しいです。
何の影響力にもなりませんが、読んで考えてくれた人がいるなら、ひとつ意味があったんだなって思います。

よければまた見に来てください。

2009-01-11 19:00 | 奈穂 #uDzv2D7s URL [ 編集 ]

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2009-01-13 11:46 | # [ 編集 ]

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