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 今日は「農力検定」創設キックオフ集会なるものに参加してみた。

 まだこの検定、理念も中身もまだまだ曖昧だけど、そこに集まる人たちの問題意識は共有されていた。
 地域を活性化したい。農村を元気にしたい。
 都市の消費者と農業の生産者の距離を短くしたい。
 今後の食糧危機に備え、しっかりと自給力をつけたい。

 そんな思いを達するために、都市生活者と農を結ぶ手段としての農力検定。
 そして、そういうことをしてるNPOや社会起業家たちが集まった熱い集会だった。

 前回書いた霜降り牛肉の件もしかり、今まで私が何度か書いている食品添加物や有機農業の話、フェアトレードもそうなのだが、消費者と生産者との距離があまりにも遠いことに問題の所在があるように思う。

 あらゆるものがmade in worldで、消費者は市場における価格でしか、商品を選べないようになってきている。
 どんなに生産者がいのちや環境に配慮したり、大切に心をこめて作ったとしても、消費者には伝わらない。
 市場で評価されなければ、売れない。生きていけない。

 生産現場には、農薬とか添加物などの化学物質や、移民労働者の低賃金や重労働、動物の病気、環境汚染などなど、あらゆる問題がある。でも「それ、問題よ!」と責めたてたところで、返ってくる答えは、「だって消費者が安いものを選ぶんだから仕方ない」だ。
 西友が以前「安さは愛だ」とキャッチコピーを打ってたけど、消費者にとっての愛は、生産者にとっては鞭だ。

 商社の友達に言われた。
 「だってコンビニ弁当が1個1500円とかだったら買わないでしょ?」

 うん、買わない。

 私も消費者だし、お金は大事だ。

 でも少しでも、できる範囲でもいいから、都市と農村をつなげたい。消費者と生産者をつなぎたい。
 その意味で、地産地消や有機農業運動の思想がすごく好きである。

 自分の体は、自分が食べたものでできている。
 What you are is what you eat.
 
 自分が食べているものが、どうやって作られたのか、農の現場を、もっと多くの人に、もっと気軽に知ってほしいと思っている。私も、もっと農の現場に行きたい。

 生産現場を知ってしまうと、スーパーで毎回踏み絵を踏まされた気持ちになって思い悩むけど、消費者に問題解決を投げるのも無責任だけど、でも、それでも、自分が食べたものが一体誰がどこで作っているかわからない現代、自分が間接的に殺し食べている命を、知ってほしい、消費者と生産者をつなぎたいと思う。

 

霜降りの背景

 霜降り牛肉と、赤身の牛肉、あなたはどちらが好きですか。

 そんなに食べたことがあるわけではないが、私は霜降りの方が、柔らかくておいしいのだよな、と思う。

 しかし霜降りを選択するということを考え直さなければならないと思った。

 
 GWに、鳥取県の牧場を見せてもらってきた。
 そこは、すごく哲学を持って頑張っている牛の牧場だ。

 霜降り牛肉というのは、筋肉の中に脂肪が入り込んだ異常な状態だという。
 普通に生きていたら、筋肉の中に脂肪が入り込むことなどない。
 霜降りを作るためには、必要以上に濃厚飼料(牧草ではなくトウモロコシとか)を食べさせ、牛の運動量を制限しなければならない。

 そうやって育った牛は、よく内臓疾患になる。
 つまり、霜降りの牛って、健康な牛ではない。病気の牛であることが多い。

 しかも、世界的に人口が増え、新興国の経済発展による肉消費拡大で、どんどん食糧の需給が逼迫する食糧危機が迫っている時代に、4000万人の人が1年間に餓死するこの時代に、牛を病気にしてまで穀物を食べさせ、ただでさえ少ない穀物をそんな風に消費してしまっていいのだろうか。

 どうせ生後21ヶ月で殺してしまう牛の健康に配慮するのは偽善だろうか。

 肉用牛は普通生後21ヶ月で殺され、肉として食われる。
 それは、畜産農家が出荷して採算がとれるラインが21ヶ月だから。
 肉用牛の命は、たった21ヶ月だ。鶏はたった50日。

 人間が肉にするために計算し、人工授精して生まれた牛。たった21ヶ月のために生まれてきた牛。
 その21ヶ月、幸せであってほしいと思うのは、やっぱり偽善かもしれないと自分でも思う。

 ただ、牧場のおじさんがなぜ霜降りではなく赤身にこだわる、つまり牛の健康にこだわるのか。
 それは、「目先の効率を追えば、長期的にやっていけなくなる」ことを知ったからだという。一時期は目先の効率を求め、畜産をやってきたが、その後でBSEが起こり、目先の効率が実は多くの問題を引き起こし、逆に非効率だということを身をもって知ったからだという。

 鳥インフルエンザや豚インフルエンザも、効率化した密飼いがウイルスの突然変異を容易にする。
 しっぺ返しをくらうのは人間だ。

 牧場のおじさんは、何度も言った。
 「消費者が変わってほしいんだ」と。
 消費者が霜降りを求めるから、畜産農家もそれを作らざるを得ない。作りたくないけど。

 TVのグルメ番組で「きゃー、霜降りとろけるぅ。最高☆」とか言っているのを見ると、「ああ食べたい」とか思ってしまう。でも、霜降りの背景を知ってしまった以上、「おいしい」だけを追い求める消費者であってはいけないように思うのだ。
 赤身の方が、ずっとおいしい。そう家庭でも教えられるお母さんになりたい。

 「霜降りがいい」という価値観を変えたい。
 
 
 真山仁『プライド』という最近出た短編小説集に、「ミツバチが消えた夏」という作品がある。
 すごくしびれてしまった。

※これから作品を読みたい人には、ネタバレになるので、要注意。

 ミツバチの死と向き合う元ジャーナリストの話。

 主人公のジャーナリストの悠介は、紛争地のジャーナリストとして、悲惨な紛争地の虐殺や難民キャンプの写真を撮り、平和な先進国にその写真をつきつけ、悲惨さを伝えることこそ正義と思って生きてきた。
 しかし「目の前でバタバタ死んでいく子ども」に慣れ始めた自分自身に嫌悪し始める。
 それから、アフリカのコーヒーやカカオ農園で低賃金で働く子どもたちの貧困と、NYなどの投資銀行マンとのビジネスの関係性を浮かび上がらせるレポートをし、「先進国が無自覚に享受している豊かさの背景にある犠牲」を伝える責任を意識し始める。それが「自己満足に終わらない」取材だと。
 そしてそうしているうちに、「自分が当事者になって、その想いを伝える」ことの重要性を語る人との出会いにより、自ら東北で養蜂家となる。

 この悠介がたどってきた道が、自分の興味関心の変遷と同じでびっくりしてしまった。
 高校時代に紛争地や劣化ウラン弾などの悲惨な事実を知り、なんとかしたいと思った。でも事態のあまりの悲惨さと、その遠さゆえに、ピュアな気持ちを失いがちになり、無関心にのまれ、自分の中の無関心と戦い、そんな自分が嫌になった。海の向こうの彼らのために涙を流せる感性を持つ先輩たちの姿を見ながら、自分には向いていないと諦めた。
 次にフェアトレードにはまるようになる。フェアトレードにのめりこんだのは、自分の中に「当事者性」を感じることが、かろうじてできたから。自分が食べるチョコレートと、アフリカでおなかをすかせる子どもは、つながっていると思えたら、ちゃんと向き合って勉強しようと思えた。自分の中の加害者性と向き合うことが苦しいから、そこから逃げるための勉強でもあった。フェアトレードと有機農業はすごく同じ構造をしているから、卒論で有機農業をテーマにしたのも、自然な流れだった。
 そして今は、農に携る実務者の道にいる。
 
 社会をよくしたい。そのために必要な人間になりたい。
 というだけの単純な思いは、数年ころころと形を変えて、今の形にとりあえず落ち着いている。

 さて主人公悠介は、養蜂家となってから、ミツバチの大量死にみまわれる。
 原因究明をしていくうちに、ネオニコチノイド系の農薬にたどりつくが、そこでJAや県、国という障壁の前にその真実が闇に葬られてしまう。
 強者の論理のもとに、間接的に命を奪われたミツバチ。
 今まさに死にゆくミツバチを前に、悠介は、世界中で見てきた「搾取の構図」がここにあることを思う。「確かに今、そこで生きているのに、無残に失われる命」に対する怒りを胸に、悠介はシャッターを切った。

 この悠介の「ミツバチの死」を見つめる目を、大事にしなきゃと思った。

 不条理への怒りは、きっと紛争地の写真を撮ったときから変わらない悠介の原点だ。

 最近研修などでよく「初心を忘れずに」と言われるが、私にとっての初心も、悠介と同じ、ここにあるように思う。

 オフィスでパソコンに向かう激務の中で、忘れたくない思い。
 強者の論理をふりかざす側にいる自分は、その中で命を奪われたミツバチを、悠介と同じ目で見ることのできる人間で在り続けたい。

 この小説、長編小説化してほしいな。真山仁に手紙でも書こうかな。

 
 
 
 
 

 
 公務員になる人が、まずサインさせられる宣誓書がある。

 公正な立場で国民の奉仕者として働くこと。
 日本国憲法を遵守すること。
 法律を守ること。
 上司の命令に従うこと。
 不偏不党であること。

 おおよそこのようなことが、文章になっていて、その最後に日付と名前を入れるように言われる。

 私は、立ち止まってしまった。
 ここは社会学部を出た人間として、人類学ゼミに2年いた人間として、立ち止まる感性を持たねばならんだろうと思った。

 ゼミで半年かけて、ハンナ・アーレントの『イェルサレムのアイヒマン』を読んだ、
 ナチスドイツにおいて、ごくごく普通のつまらん官僚のアイヒマンが、「合法的」に「上司の命令に従って」、ユダヤ人課の責務として600万人のユダヤ人を殺した責任者となった。その裁判の記録を読んだ者として、そしてこれから巨大な権力を持つ組織の歯車となる者として、法律に従うことが、上司の命令に従うことが、必ずしも正義になりえないことを心に留めなければならないと思った。

 巨大な暴力を行ったドイツ軍の規定には、過去の反省から、現在、「最終的には自分の良心に従え」という一文があるという。

 大きな組織で大きな物事を動かす際、構成員が組織の歯車となることが、必要不可欠だ。
 しかし、その大きな力が間違った方向に進もうとしているとき、歯車として従うことなく、一人一人が自ら思考し、方向を見直すことがなければ、過去の暴力は、繰り返されてしまうかもしれない。

 「あのぉ、これ、サインしなかったらどうなるんですか?」
と、担当の先輩に聞いてみた。

 「どうなるんでしょうね」
と、先輩は笑った。同期も笑った。

 まぁ、そりゃ笑うよね。

 紙切れ一枚、通過儀礼でしかなく、私以外の全員はさらりと名前を書き、宣誓書は集められようとしていた。

 うう。

 そうだ。まず、「公正」であること、「国民の奉仕者であること」が記されている。それが前提であれば、それに反する法律や上司の命令に従う義務は私には生じない。憲法も、13条や25条は、まだしばらくは変わらないだろう。憲法遵守もまだ信用できる

 そんな解釈のもと、私は名前を書いた。

 書いたけれど、なんだか踏み絵を踏まされた気分だ。

 これが私の「社会化」の第一歩。
 
 組織の中で生きるために、自分の中で解釈をし、なんとか折り合いをつけ、正当化に成功だ。

 「感性を売り渡してはいけない」
 「くじけないでね」
 「折れず、吸収されず、頑張って」

 私の目を見てまっすぐに送り出してくれた先生の前に、私はちゃんと堂々と帰れるだろうか。
 先生は、学生が「社会化」されることを、すごく危惧していた。

 「国民のため」というが、「国民になれない人」のことも忘れないで、と、他の教授も、卒業式前にメッセージをくれた。

 自分が目指すべき理想に迷いながらも、それでも自分が社会人として成すこれからの仕事を、しっかりと思考して、やっていかなければ、と思う。勉強しなきゃな。

 コピーばかりをとっている、そんな社会人1日目。
 
 
 

 

Free Tibet

 チベットに行ってきた。

 学生最後の旅の場としてチベットを選んだのは、社会人になってから行くのが難しそうだから(時間的・体力的・入境許可的に)と、中国からの独立を目指す動きがあるという政治的危うさと、開発に消えゆく宗教・文化・非近代の営みを感じてきたかったから。

 『「チベット問題」を読み解く』(大井功)と『ダライラマ自伝』にしっかりとカバーをかけて、おともとする。
 行く前にこの本を読んだときは、中国ひどい!チベット解放すべし!との感想だった。

 実際にラサの人たちを見て、チベット問題というものがわからなくなってきた。
 私の目には、チベットの人たちは、実に平和に幸せそうに見えたのだ。
 
 ポタラ宮の周りを、マニ車(中にお経が入ってて1回まわすと1回お経を読んだことになる優れもの)を回しながら、五体投地をしながら、ほのぼのと歩いている人たち。喫茶店でバター茶(飲むバター)を飲みながら、にこにことチベット語で話し続けるおばちゃんたち。郊外では、牛を飼い、牛に大麦を食べさせて牛の糞を固めて燃料にするおばあちゃん。

 漢族もたくさんいて、町中には漢字があふれ、中国旗がポタラ宮の頂上を始め、個人の家にもいたるところにあふれている。でも、チベット人だって中国料理を食べ、漢族だってチベット料理を食べ、チベット人は中国語を話し、中国人の友達だっている。警察と軍は驚くほどたくさんいたけれど、なんだか暇そうに談笑してる。

 実にうまくやっているように見えてしまった。
 ラサに3日間滞在した私には、平和そうな光景が「真実」だった。
 2008年の暴動など、一部の過激な人たちが「独立」を叫んだだけなんじゃないかとさえ思った。

 そうやってほのぼのと「チベットってね、すっごく平和そうだったよー。」と日本で伝えそうな私の帰途に、活仏が現れた。

 「仕事何してんの?」と問うと、「活佛」と答えた普通なおじさん。

 「活仏って何? 僧侶?」と問うと、macbookを取り出し、動画を見せてくれた。そこには、僧侶に拝まれている袈裟姿のおじさんがいた。活仏、つまりはダライラマのような仏の生まれ変わりか。
 中国語は漢字の筆談が勝負な日本人の女の子二人。友達のノートに、活仏は書いた。
 「我不喜欢 中国」
 その瞬間、友達と顔を見合わせ二人で凍った。
 横には中国の公安。

 私たちにその意味がわかると、活仏はその文字をペンでぐちゃっと塗りつぶした。

 その後も、活仏は、筆談で一生懸命私たちに思いを伝えてきた。
 たくさんのチベット人が中国軍に打たれて殺されたこと、たくさんの僧侶の服が引き裂かれたこと、僧侶は500人以上亡命したこと、チベットの文化や歴史が破壊され、チベットがどんどん漢化していること。
 活仏は携帯の画像を見せてくれた。
 隠れて撮っただろう軍隊の写真、虐殺が行われた洞窟の写真、ダライラマ14世の写真、チベット国旗の写真。
 それが見つかれば、逮捕され消されてもおかしくはない。
 手で隠しながら、自分は雑誌を読んでいるふりをしながら、書いた文字は塗りつぶしながら、おじさんは伝えてくれた。いのちがけ。

 真っ黒になったノートを見て、胸がしめつけられた。友達が、墨塗りの教科書みたいと言った。
 これが、不自由ということだと。

 「チベットの真実を知るには、君たちの滞在は短すぎる」
 「君たちはとても自由だ」
 活仏は書いた。

 成都に着いたとき、すごく解放された気がした。
 それは、高山病や寒さからの解放でもあったけれど、軍隊が監視していないことに対する解放感と、ダライラマとか政治的キーワードをなるべく使わないように気をつけていたものがとれた解放感。
 ラサの窮屈さがわかった気がした。

 Free Tibet と思い、空を仰ぎ見た。

 2008年は、Free TibetのFreeが国家としての独立を意味するのなら、私はそれを口にしたくはないと思っていた。でも、チベットの不自由さを旅行者でも実感してしまって初めて、Frre Tibetの意味がどっしりとわかった。
 
 自由を求める声が銃声にかき消される理不尽さ、いいたいことを言えば逮捕されてしまうかもしれない窮屈さ。この状態が続くわけがない。中国がたくさん入りこんでいる今、完全な国家としての独立は無理だ。ダライラマのいう高度な自治は何故認められないのか。チベットが、民族宥和のショーケースだというのなら、中国政府は、しっかりとチベットの指導者と対話をし、双方が本当に合意できる道を探るべきではないのか。Googleにチベット問題のサイトが出てこないように規制させてる場合じゃない。
 日本にいて得られる情報も完全でないかもしれないけれど、しっかりと注視していかなければ。
 何もできないことはもどかしいけれど、心を向けていたい。

 そして。

 この日本の「自由」を守りたいと思った。
 新自由主義者たちが自由自由と言っているゆえに、自由の弊害ばかりを今まで見てきたけれど、大学生が卒業旅行に好きなとこに行けて、好きなように発言できる、この日本の自由は貴重だ。「君たちは自由だ」と活仏の言うとおりだ。
 10歳で終戦を迎え、生涯ジャーナリストとして自由の気風を守るために尽力してきた筑紫さん。
 筑紫さんが守りたかった日本の「自由の気風」ということの意味が、わかったような気がする。

 一人の国民として、この「自由」を守りたい。
 
 
 
 
 

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